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【意外と知らない三国志故事】「 士別れて三日なれば刮目して相待すべし 」知将・呂蒙の誕生秘話

【意外と知らない三国志故事】「 士別れて三日なれば刮目して相待すべし 」知将・呂蒙の誕生秘話

あなたは呉の呂蒙(りょもう)という武将を知っていますか?
呂蒙は孫権配下で、関羽を捕まえた武将として有名です。その知名度は呉の軍師である陸遜に劣らず、知将としても活躍を見せています。

ただ、「三国志演義」は蜀を贔屓目に描いているので、関羽を死なせる原因となった呂蒙には風当たりが強く、悪役として描かれることが多いです。

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だからといって彼のしたことはあくまで国のため、主君にやったためであることが大きいので、その人物をよく観察せずに批判ばかりするのはいかがなものでしょう。
呂蒙は大変な努力家の一面も持ち合わせており、その努力ぶりはことわざにもされているのです。
今回はその呂蒙の勤勉さに目を向けてみましょう。

「呉下の阿蒙」と呼ばれて

呂蒙は孫権に度々重んじられてきましたが、家がもともと貧しく、学問に触れる機会はありませんでした。出世をすると否が応でも上奏文などの書類を作成しなければならないのですが、呂蒙は部下に口述して書類を作成してもらっていたそうです。

しかし、それは将軍としてはあまりほめられたものではなく、人々は呂蒙の学識のなさを笑って「呉下の阿蒙」と囃したてたのです。
この「呉下の阿蒙」の「阿蒙」とは、今で言う「蒙ちゃん」といったニュアンスで、決して蔑む言い方ではなく、親しみを込めてからかう言葉として「阿」が使われています。たとえば、蜀の二代皇帝「阿斗」や、魯迅の「阿Q正伝」なども同じような意味です。

ですが、いつまでも「阿蒙」のままでいる呂蒙を見かね、孫権は呂蒙に学問を勧めました。
呂蒙は「軍中は何かと忙しく、書物を読む時間を取れない」と返しましたが、
孫権は「博士になろうとしなくていいから、歴史を見渡して見識を広めてみてはどうか」と、どの書物を読んで学ぶべきかを教えたといいます。

「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」の意味

さて、呂蒙の努力家ぶりが世に示されるのはここからです。孫権に無学を指摘されて恥入った呂蒙は、発奮して本の虫となり、勉強を続けました。呂蒙は見る見るうちに教養を身につけます。
最終的に、その勉強量は本来の専門学者である儒学者さえも敵わぬほどであったと言われています。

勇猛なれど無学であった呂蒙を軽蔑していた知識人の魯粛は、日に日に上がる呂蒙の評判を聞いて挨拶に向かいました。

清朝時代の魯粛の肖像

清朝時代の魯粛の肖像

実際に語り合った呂蒙は、以前とは比較できないほどの慧眼や学識を兼ね備えた大人物へと成長していたのです。

喜んだ魯粛は、「昔言われていた『呉下の阿蒙』であったとはとても思えない」と称賛しました。
対して呂蒙は「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」、つまり「士たるもの、別れて三日もすれば随分と成長しているものであって、また次に会う時が目をこすって違う目でみなければなりませんよ」と答えたのです。

その顔つきは、かつて魯粛が軽蔑していた猪武者の姿ではありませんでした。

いかがでしたか?
三国志の劉備ファンや関羽ファンにとかく攻撃されがちな呂蒙ですが、このエピソードを見る限り、かなりの努力家であることが伝わってきますよね。
しかし、この話はなにも呂蒙だけに限ったことではありません。現代のサラリーマンにももちろん当てはまります。
特に新入社員の皆さんは、この時期社会人として悩むことも多いでしょう。
そんな時、呂蒙のように自ら勉強しスキルアップにつなげれば、周りの人の見る目も著しく変わってくるのではないでしょうか。
「昔はあんなことしてたとは思えないね」なんて言われたら、「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」とぜひ言ってみてください。

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