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【 本能寺の変に散った恋 】悲恋・純愛、日本史に残るラブストーリー3選

【 本能寺の変に散った恋 】悲恋・純愛、日本史に残るラブストーリー3選

いつの時代も、その時代ならではの恋物語があるもの。今と違って携帯電話も無かった時代、どのような恋物語が繰り広げられていたのでしょうか。
それでは、日本史に残るラブストーリーを3つご紹介しましょう。

身分違いの恋の行方:在原業平・藤原高子

「業平と高子の逃避行」

「業平と高子の逃避行」

平安時代成立の伊勢物語は、「昔、男ありけり」と始まります。
この「男」は歌人・在原業平だとする説があり、物語で「男=業平」はある女性と恋に落ちます。
それは当時権勢を誇った藤原氏の姫君・高子で、近々天皇の妃となる身。業平は臣籍降下した身で、釣り合わない恋でした。
ある晩、業平は高子をおぶって逃げ出します。
歩き続けてやがて夜が更け、雨が降ってきました。そこで蔵で雨宿りすることにし、奥に姫を入れて業平は入口で番をします。
ところが蔵の奥には鬼が隠れており、姫を一口で呑み込んでしまいました。悲鳴は雨にかき消され、聞こえませんでした。
夜が明けて業平が振り向くと、そこに姫はいません。泣いて後悔しましたが、後の祭りでした。

鬼に食われたというのは事実ではありませんが、これは高子を連れ戻しに来た兄たちのことだと言われています。結局、実らぬ恋でした。
後に高子は清和天皇の妃となり、皇子を産みます。業平は平安時代を代表する歌人となりました。
「千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは」という百人一首の和歌が有名ですね。

終生会うことなく純愛を貫いた、織田信忠と松姫

織田信長の嫡男・信忠と、武田信玄の娘・松姫
親の命による政略結婚として、11歳と7歳の時に婚約が成立します。とはいえ、2人は文と贈り物のやり取りで交流を深めていきました。まだ見ぬ婚約者に、それぞれ憧れを抱いていたと考えられます。

「信忠の死後、尼となり信松尼と称した松姫」

「信忠の死後、尼となり信松尼と称した松姫」

しかし信長が徳川家康と同盟を結んだため、これに信玄が怒り、婚約は解消となります。
松姫は兄・盛信のいる信濃国へ移りましたが、武田家の滅亡により、兄の娘たちを連れて武蔵国(八王子付近)へ落ち延びます。

そこに届いたのは、信忠からの迎えの一報でした。
婚約解消後も、信忠は正室を迎えていなかったのです。松姫はさぞかし喜んだことでしょう。すでに婚約から15年の歳月が過ぎていました。

彼女は未来の夫に会うべく、八王子を発ちます。
が、間もなく届いた悲報が彼女の希望を打ち砕きました。本能寺の変が勃発し、信忠は二条城で自刃してしまったのです。

失意の松姫はその年のうちに出家しました。終生独身を貫き、武田家と信忠の菩提を弔いながら、兄の娘たちを育て上げたといいます。
会ったこともないはずの2人に芽生えた純愛は、時代に翻弄された悲恋でもありました。

決して見捨てない愛、今川氏真と早川殿

「今川氏真の墓(中央)と早川殿の墓(左)。仲良く隣同士」

「今川氏真の墓(中央)と早川殿の墓(左)。仲良く隣同士」

今川義元の嫡男・氏真北条氏康の娘・早川殿は、武田・北条・今川間で結ばれた甲相駿三国同盟により政略結婚しました。
しかし祝言の6年後、桶狭間の戦いにて義元は討死します。
形勢は一変し、同盟を破った武田信玄は今川方へ侵攻してきました。父ほどの武勇や知略のなかった氏真にとってこれは大ピンチでした。

そこで早川殿は、小田原にある実家の北条家を頼ることにします。2人はそこで一時の平穏を得ました。しかし氏康が亡くなると、信玄が氏真討伐の兵を寄越してきます。
それを知って怒り、行動を起こしたのはまたも早川殿でした。
家臣を集め、氏真とさっさと船に乗り、小田原を去ったのです。その後2人は家康の庇護を受け浜松で暮らし、京都に居を移したようです。

氏真は文化人としては優れていたようですが、戦国の世で一国の主となるには力不足でした。しかし2人は仲睦まじく、四男一女に恵まれて添い遂げました。甲相駿三国同盟で成立した3組の夫婦のうち、唯一2人は離婚しなかったのです。

現代の私たちでは考えられないような、記憶に残るラブストーリーが歴史上では繰り広げられていたのですね。
女性たちは歴史上あまり顧みられない存在ですが、そんな彼女たちにも目を向けると、歴史はより面白くなりますよ。

(xiao)

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