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【 そんな決め方アリ!?】盟神探湯からくじ引きまで…政治も左右した占いの日本史

【 そんな決め方アリ!?】盟神探湯からくじ引きまで…政治も左右した占いの日本史

朝のニュース番組の多くで見られる「占い」。
運勢次第でなんとなく一喜一憂したり、その日の行動のささやかな参考にしてみるという人、結構いるのではないでしょうか。

現代では日常のちょっとしたスパイスという傾向が強い占いですが、歴史上では重要な位置を占めていることもありました。
特に昔は神仏の存在感が大きく、占いの結果は神仏のお告げとして重要視され、政治や戦を左右することもありました。

そこで今回は日本における占いの歴史と実際の占いの例、そして占いが政治や戦を左右したエピソードを紹介します。

日本史上最古の占い師は卑弥呼?

日本に関する最古の記録は三国志魏書東夷伝倭人条。俗に「魏志倭人伝」と呼ばれる、中国の記録です。
これによると日本列島内に群立する国のひとつ邪馬台国では、女王卑弥呼が「鬼道」を行なっていたのだとか。
この記述から一般的に、卑弥呼は占いによって神のお告げを聞いて国を運営するシャーマンのようなイメージを持たれています。

ただこの「鬼道」、そうしたシャーマニズムではなく道教のことだ、いや儒教以外の思想でもって国を運営することをさしている、など諸説あり、実際に卑弥呼がどんな政治を行なっていたかは定かではありません。

どちらが正しいか火傷の具合で決める盟神探湯・湯起請

では日本での記録ではどうでしょうか。
一説によると、日本書紀では実在が確実な最古の天皇・第15代天皇応神天皇の時代に、盟神探湯という占いによる神明裁判が行われたことが記されています。

応神帝御影(『集古十種』より)

応神帝御影(『集古十種』より)

それは神に潔白を誓わせた後に、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、火傷を負えば有罪とする占いです。なんとも危険ですし、それって皆火傷するのでは・・・。

この時の対象者は、武内宿禰と天見内宿禰の兄弟。
弟に罪を告発された兄が身の潔白を主張しました。どちらか正しいか明らかにするために、応神天皇は2人に盟神探湯をさせることにします。
これによって武内宿禰の無罪は証明され、讒言をした天見内宿禰をも赦免して決着をつけます。

盟神探湯は探湯、誓湯とも書き、隋書東夷伝倭国条、いわゆる随所倭国伝にも記されています。
また、室町時代には湯起請という名で同様の神判が朝廷・幕府の双方で行われたことが記録に残っています。この裁判方法は江戸時代中期に廃れ、現在は湯立という神事として見ることができます。

くじ引きも神仏の意思を仰ぐ立派な占いだった

日常の至るところで見かけるくじ引き。これも元々は占いのひとつでした。
くじ引きに関する現存最古の記録は鎌倉時代の歌人・藤原定家の日記『明月記』とされています。
これによると左近衛大将の辞任にともない春日大社で「孔子(くじ)」を引いて後任の推薦候補者を絞ったとのことです。

高官や当主交代でくじ引きを使うのは、武家でも見られました。
たとえば室町幕府の4代将軍・足利義持は、後継者を決めないままに息を引き取ります。
側近たちは遺言に従い、義持の弟4人を候補者として石清水八幡宮にて神籤を引き、当選した足利義教が次代将軍に就任しています。

足利義教

足利義教

くじ引きは神事という意識は現代では薄れていますが、日常生活に広く浸透しているだけでなく、選挙で得票数が同数だった場合はくじで決めることが法律で定められているなど、くじ引きの風習は今なお息づいています。
ここに紹介したものは日本で行われてきた占いのほんの僅かな例です。他にも調べてみると、何気ない日常からは考えられないような面白い事実と出会えるかもしれません。

(Sati)

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