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【 悪左府からの怖すぎるアプローチ 】歌にしたためた想い…男色家たちの恋文(ラブレター)

【 悪左府からの怖すぎるアプローチ 】歌にしたためた想い…男色家たちの恋文(ラブレター)

付文(つけぶみ)、艶書(えんしょ)、艶文(えんぶん)・・・様々な呼び方はありますが、古来、我が国にとって、恋文は、恋を成就させるための最重要ツールでした。

それは、男女の恋だけではなく、男同士の恋、いわゆる男色でも同じ。
井原西鶴の『男色大鑑』「垣のうちは松楓 柳は腰つき」では、玉之助という少年が、自分の母親に恋文の仲立ちをしないようにと言い含められた従者に対して、「恋い焦がれて手紙を送ってくださるのを、ぐずぐずして届けないような人間がいたら、それは恋知らずというものだ」と言っているほどです。

そして、まだ神話の時代、木の葉に文字通り「言葉」をしたためていた頃から、本邦にあって恋心というのは歌に託すものでした。

男色指南書ともいうべき『男色十寸鏡』でも、
「日本において優しき道あり。是大和歌なり。……若道をみがき給ふ人は、この意なくして歌のわけ知らぬはいかで実の恋も知り情けも知らん。千日万日通ひてくどかんより、ただ一首の歌にて心もやはらぎ感性するは、これ歌の徳なり。歌道無き人は文の文言もふつつかなり」(『本朝男色考』岩田準一著、岩田貞雄)
と、歌の効用を熱く語っています。

歌人ならでは!大伴家持の時を超えたラブレター

日本における男色の最初の記録もやはり歌にまつわるものです。

大伴家持
(狩野探幽『三十六歌仙額』)

奈良時代を代表する歌人の大伴家持は、文武にまたがる才能を有していただけでなく、幼少の頃は玉のように美しい少年でした。この美童を愛したのが、金明軍という渡来人で、血統を辿ると、新羅か百済のいずれか、古代朝鮮王朝に至ると言われている人物です。

彼は家持の父・旅人の従士をつとめていたのですが、同時に家持の守役も兼ねていたようです。明軍は当時、日本における武の象徴だった家柄の少年を愛し、こんな歌を送っています。

「あしびきの山に生ひたる菅のねもころ見まくほしき君かも」

現代語訳すると「あしびきの山に生えている菅の根のようにねもころ(懇ろ)に見ていたいあなたよ」といったところでしょうか。

これに対する家持の直接の返歌は残っていませんが、その数十年後の757年、明軍も亡くなった後に、家持は次のような歌を歌っています。

「咲く花は移ろふ時ありあしひきの山菅(やますが)の根し長くはありけり」

こちらは「咲く花の色は移ろい行くもの。でもあしびきの山の地中深くに根付いた菅の根は、人の目には見えなくとも決していつまでも変わりません」といった意味。

当時、家持は大体40歳くらい。かつての柳腰の美少年も、数々の政変を経て、目に獰猛な光の宿る、屈強の武将になっていました。この歌を送ったときだけは、かつて青丹よしの奈良の都で、紅にほふ桃の花のしたを、愛しい人と手をつないで歩いた時のいたいけない自分に戻っていたことでしょう。

日本男色界のスーパースター・藤原頼長様のコワすぎるラブレター

時代は下って、平安末期。

貴族政治終焉の時代に、日本の歴史は輝かしい幕引き手を得ます。それが藤原頼長様
頼長様は「日本一の大学生」とたたえられた博覧強記の知識人にして、貴族政治の復興を目指した天才政治家、そして日本男色界のスーパースターです。

藤原頼長像(『公家列影図』より)

頼長様の男色の特徴の一つは、主に政敵を狙い撃ちにし、褥のうえで征服することで、政治のうえでも相手を屈服させようとした点にあります。もう一つは、その性生活を克明に「台記」という日記に記録していたことです。
そのため、後世の我々は頼長様がいつ誰と愛を交わしたか、大体のことが分かるようになっています。

もちろんアプローチの仕方も判明していて、藤原隆季という貴公子を狙ったときは、オーソドックスに恋文を送っていたようです。

しかし、頼長様の玉に傷は和歌がまったく駄目だったことで、彼の文章の才能は散文的な方面に特化していました。源義仲の父・義賢とベッドを共にした際のことを、

「今夜、義賢を臥内に入る。無礼に及ぶも景味あり。不快の後、初めてこの事あり」

と記していますが、一体何が起きたか、出来事の本質を、簡潔かつ雄渾に語ってあまりありません。

恋文に関しても、優しい大和歌もなく、頼長様のあふれるパッションを簡潔かつ雄渾に語ってしまったようで、隆季はドン引き。返事もしませんでした。
しかし、頼長様の辞書に「退く」という字はなく、台記に「自去年雖通書」とある通り、年単位でラブレターを送り続けました。

その執拗さはさすがに「悪左府」とあだ名されるだけのことはありますが、当然こんなことをすれば、相手はおびえるわけで、隆季の態度はますますかたくなになっていきました。

どうしたらよいか分からなくなった頼長様は思い余り、陰陽師に札をもらい、夜ごとに恋愛成就を願って祈祷するという、アクロバティックなことまではじめます。

そして、挙句の果てには、すでにお手付きになっていた隆季の従兄弟・忠雅をだしにして、ほとんどだまし討ちに近い形で想いを遂げたのでした。

この時の喜びを頼長様は「台記」に、わずか四文字「遂本意了」と簡潔かつ雄渾に記しています。

『男色大鑑』に描かれた、衆道の倫理に尽くすラブレター

頼長様をはじめとする貴族達の即物的で放埓な男色と比べ、次の支配者となる武士のそれは、義理や意気地といったものが重視され、文化的にも精神的にも洗練されたものになったようです。

それは、戦国時代を経て、戦場でさらに鍛えられます。
そして「衆道」、道と呼ばれるようになるほどの、独特の美学を作り上げたのでした。

その「衆道」の倫理に尽くす恋人たちの生き様、死に様を描いたのが、冒頭に紹介した『男色大鑑』です。この物語のなかでも恋文は重要な役割を要所、要所で果たしています。

「男色大鑑」井原西鶴
(国立国会図書館デジタルコレクション)

例えば、「玉章(たまづさ)は鱸(すずき)に通はす」では、出雲大社の神々の口の端にも上ったと言われる美少年、増田甚之介に懸想した、森脇権九郎が、思いのたけを綴った手紙を、人目を忍び、松江湖名物の鱸の口に入れて、甚之介に渡しています。

また、「姿は連理(れんり)の小桜」では、美貌の持ち主揃いの若衆のなかでも、出色の愛嬌と媚、そして美しさを備えていたという、小桜千之助という少年が登場します。
千之助は実在の人物で、井原西鶴も以下のことは実際に自分が見聞したものとして書いています。

男色大鑑(井原西鶴)「姿は連理の小桜」より
(国立国会図書館デジタルコレクション)

場所は道頓堀の荒喜与次兵衛座、若女方の千之助は、鳥足の高下駄、紙を切り継ぎにしたカラフルな紙衣、首にはたたき鐘という行者姿で、舞台の上にあらわれます。やや風変りな出で立ちですが、彼が着ると不思議に似合って、愛らしく、観客を「生きたままで墓場へやる」ような色香があるのでした。

千之助は手に持つ「連理の枝」の縁起とご利益を長々と述べた後、観客に向かって良縁を望むものはこの枝に手紙を結び付けなされと訴えます。

この粋な趣向に、浮かれ男たちは大盛り上がり。次々と手紙を枝に結び付けるのですが、なかでも二十四、五歳の雰囲気のある男が、「思いこの内にあり」と表に書いた封書一通をしとやかに結びつけたのは何やら意味ありげで、千之助を見つめる視線にも真実がこもっているようでした。

その後、楽屋に引っ込んで手紙をあらためてみると、大抵は「惚れました。命、命」などとだけ書いてある他愛無いものでしたが、例の封書はゆかしい行成流の筆でつづられ、とても読み捨てに出来るようなものではありません。その封書に書かれていた内容を意訳すると以下のようなものでした。

我が国は、無心の草木までも色香をたたえているというのに、この色香を心に含む若衆はめったにいない。しかし、連理の枝を持つ小桜殿は、自然と色香を心に含み、外に盛りの色をあらわしておられた。色道は貴賤のへだてのない修行の道。願ってかなわぬことはないと、ただ一筋に御身のことを願っております。どうか羽のない私を連理の枝に宿らせ、比翼の思いを遂げさせてください

この切々たる手紙には、千之助も感激。男を我が家に招くと、思いをかけてくれた恩に、情けの限りを尽くして報いたのでした。

以上、男色の歴史のなかの恋文について駆け足でご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
ネットが発達した今でも、恋愛ツールとしての、古風な恋文の威力は変わらぬままかと思います。今回、ご紹介した幸せな恋人たちを参考にして、是非、今晩にでも、愛しい人への思いを紙にしたためてみてください。千之助ではありませんが、きっと良縁が巡ってくること、間違いなしですから。
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黒澤はゆま
宮崎生まれ。大阪在住。2013年に歴史小説『劉邦の宦官』でデビュー。他著作に真田昌幸の少年時代を描いた『九度山秘録』、世界史・日本史上の少年愛を紹介した『なぜ闘う男は少年が好きなのか』がある。
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※参考文献:『余明軍伝考 : 万葉集人物伝研究(三)』(川上富吉著)/『女装した武人 倭建命と花郎の比較考察』(瀧元誠樹著)/『本朝男色考』(岩田準一著、岩田貞雄)/『大伴家持―氏族の「伝統」を背負う貴公子の苦脳』 (鐘江宏之著、山川出版社)/『院政期社会の研究』(五味文彦著、山川出版社)/『頼長さまのBL日記』(安曇もか著、リブレ出版)/『男色大鏡』(井原西鶴著、琿峻康孝訳、小学館)/『美少年尽くし』(佐伯順子著、平凡社ライブラリー)

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