実に260余年、十五代にわたり続く江戸時代を築いた徳川幕府。
歴史の授業で有名なのは、祖である家康公はもちろん、三代家光(武家諸法度制定)、五代綱吉(生類憐れみの令)、八代吉宗(享保の改革 暴れん坊将軍)、十五代慶喜(幕府最後の将軍)くらいでしょうか。
戦国好きは二代秀忠(真田親子に手こずり関ヶ原に遅参)、幕末好きは十四代家茂(長州征伐の途中で死去)というのもあるかもしれませんね。
このような後世に残る名前の将軍以外にも個性ある将軍がいて、むしろそういうマイナータイプ(失礼!)に興味が沸くタイプの私は、以前にあの大河ドラマ「篤姫」で堺雅人さんが演じた「スイーツ将軍」こと第十三代家定公の記事を書いたのですが、今日もまたそのようなマイナー将軍の一人、謎の多い第九代将軍 徳川家重公にフォーカスを当ててみました。
まずは簡単に彼の人となりをご紹介しましょう。
徳川家重=江戸幕府第八代将軍で名君の名高い、徳川吉宗公の長男として正徳元(1712)年江戸に生まれる。
もともと吉宗公の生家である徳川御三家の一つ、和歌山紀州藩の嫡男として生まれ、延享2(1745)年に第九代将軍へ33歳で就任。もともと虚弱で、言葉が不明瞭で聞き取ることができず、聞き取れるのは一人の側近のみだったとか。
また、とても頻尿(おしっこが近い)で、数キロに渡る道中に二十三箇所もトイレを設けさせ「小便公方」なんてありがたくない名前で呼ばれたそうです。
さらにお酒に溺れ体を壊し、最後は重い病気(おそらく尿毒症・尿路感染と言われている)で宝暦11(1761)年、51歳の生涯を終えます。
現在家重公は、キュレーター哲舟さんのルポにあるように、徳川家の菩提寺、東京芝の増上寺にそのお墓があります。
このアイキャッチ画像の顔もなんともシュールな顔つきですが、一説では顔面麻痺だったのではないかと言われています。
顔面麻痺だったというのは、遺体調査で、奥歯がすり減っていることが発見、凄い歯ぎしりをした結果が根拠だそうです。
(もしそうだったとしても、ここまでリアルに書かなくてもいいのに・・・なんだかカワイソウ)
また、この家重公の謎はなんといっても「女性説」でしょう。
ネットでもこの「徳川家重」を検索すると女性説に関するブログがドカーっと出てきます。
普通なら「まさか・・・」と笑い飛ばしそうな話ですが、調べるうちになんとも言えなくなってきました。。
その理由としてあげられるものが
・頭蓋骨と骨盤が女性のような形をしている
・歴代将軍の死骸は胡坐(あぐら)の姿勢で収められるが、なぜか家重のみ女性の埋葬である正座で収められていた
・死因である尿毒症は女性に多い病気だった
・当時移動中の将軍のトイレは専用の道具(つまり簡易トイレ)で済ませるのに、たくさんのトイレを設けさせた
というもの。
その他にも声を聞かせなかったのも、実は女性だと周りに悟られないようにするためだとか、お父さんである吉宗公の世継ぎ継承問題があったりだとか、いろいろな説が交わされているのだそうです。
そんなふうにちょっと不幸な逸話が多い家重公ですが、また別に料理が好きだったという記録もあり、前述のスイーツ将軍家定公とも似た人間らしさも感じさせます。
さらに病弱で顔面麻痺の推測から、暗君だったと言う定説に、古典の知識がないと楽しめない能を好んでいたという記録から、実は優秀な将軍だったと異を唱える人もいます。
今となっては、DNA鑑定でもしないかぎり謎のままですが、こういう歴史ミステリーってそれなりに根拠があるから面白いですよね。
来年の大河ドラマも「おんな城主 直虎」ですし、いっそのこと「女将軍 家重」なんて飛躍しすぎでしょうか?
それにしても家重公もまさか350年経って「男だったか女だったか」と話題になってるとは想像もつかないでしょうね。
将軍の世継ぎに生まれるって大変だ。。
参照元:
「徳川家重」wikipedia
「徳川将軍一覧」wikipedia
「歴史館ミステリー編」
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編集長Y
写真:wikipedia/哲舟さん