薩長同盟を仲介し、明治維新を成功させた功労者の一人である坂本龍馬。
歴史ファンならずとも彼の名は知っている人も多い「最も有名な日本人」の一人でしょう。
その龍馬がその死の瞬間まで所有していた愛刀「陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)」が、「正式にホンモノ」と認定されたそうです。
「正式にホンモノ」ってどういうこと?のナゾに迫ってみました。
今さら聞けない・・・坂本龍馬ってどんな人?
歴史ファンならご存知かと思いますが、まずは簡単に坂本龍馬とはどういう人だったのかをおさらいしてみましょう。
幕末の風雲急を告げる天保6(1836)年、土佐藩(高知県)の裕福な商家、才谷屋の次男として出生。
坂本家は郷士(下級武士)でもありましたが、藩内では上士と下士という身分制度が厳しく、藩政への参加が厳しい時代。
その後土佐藩を脱藩、各国の志士たちと繋がりつつも、幕府の要人勝海舟へ弟子入り、海軍塾で軍艦の操船などを学びます。
さらに政治結社兼商社兼私設軍隊である「亀山社中」(後に海援隊)を結成し、仲違いしていた薩長両藩をつなぐ「薩長同盟」を成立させ、明治維新の実現に尽力します。
そのほかにも徳川幕府に政権を返還させる「大政奉還」の提案、維新後の体制についての「船中八策」などを考えるなど、明治政府の成立基盤をその常人では想像できないバイタリティでつくることに奔走しますが、新政府の樹立を見ずに大政奉還の一ヶ月前に何者かによって京都の近江屋にて暗殺、享年31歳の生涯を終えました。
今回の陸奥守吉行は、その時に携えていた愛刀であるとされ、子孫の方により京都国立博物館に収蔵展示されていました。
龍馬の存在は、明治になってしばらくは無名だったそうですが、ある新聞記者の取材によってその功績が明るみに出て、かつ歴史小説の大家である司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」で、爆発的な人気を博して知られるようになり現在に至ります。
歴史界で真贋が議論になっていた龍馬の愛刀
さて、そこで今日の話題になったのはこの坂本龍馬の愛刀として知られていた「陸奥守吉行」。
有名な武士の愛刀をキャラ化した大人気ゲーム「刀剣乱舞」にも登場するこの刀ですが、実は歴史学的に「ホンモノではないのではないか」という議論が長年繰り広げられてきたそうです。
近江屋で暗殺される瞬間まで、北辰一刀流目録の剣豪でありながらも一度も剣を抜かなかったといわれる龍馬。
その愛刀がホンモノかニセモノか、これはどうあっても気にならざるを得ません。
その理由として
①刃に「吉行」の特徴的な文様がない
②当時の刀のように反っていない
などがあげられていたとか。
なにせその場にいた人が誰もいないのが歴史の難しさですから、判定するのも大変ですよね。
しかし、昨年、子孫が寄贈の際に書き残した書類が、高知県立坂本龍馬記念館の資料の中から発見。
1913年に北海道釧路市の子孫方で火事に遭った際に変形して反りがなくなり、刃も研ぎ直したことが記されていたということで、収蔵元である京都国立博物館が正式に「坂本龍馬のホンモノの愛刀だ」と発表したというニュースです。
坂本龍馬のご子孫にしてみれば、長年の論争は心を痛める原因でしたでしょうし、ホンモノと分かって大変喜ばれていることでしょうね。
そういえば、龍馬が江戸で剣術修行していた北辰一刀流の「千葉道場」の目録が昨年11月に見つかったことで大きな話題を呼びました。
関連記事:【ビッグニュース】坂本龍馬が極めた「北辰一刀流」の目録が発見されたって!?!
龍馬をはじめとする幕末の志士たちは、龍馬と同じように30代なかばで維新の嵐に命を燃やし尽くした人が多いですが、死後150年近く経っても、激動の時代を必死に生ききった若者たちの思いが込められたその軌跡を知ることは、大変に重要なことだと思います。
まあとはいえ、あの愛すべきパーソナリティをもった龍馬のことですから、今回の騒動を空から見ながら「そんなことどうでもいいキニ〜」と笑っている気がするのは私だけでしょうか。
参照元:
京都国立博物館所蔵の刀、実物の龍馬遺品と判明(読売新聞ONLINE)
京都国立博物館 オフィシャルサイト
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