先日は2017年大河ドラマ 「おんな城主 直虎」についての記事をご紹介させていただきました。
2017年大河「おんな城主 直虎」主役の井伊直虎ってどんな人?
ところで、井伊直虎は実際に女性だったわけですが、女性「説」が根強い戦国武将についてご存知でしょうか?
越後の虎と呼ばれ、武田信玄と何度も川中島で激闘を繰り広げたあの武将。そう、上杉謙信なのです。
女性説が根強い上杉謙信
上杉謙信は、元々は上杉家の家臣である長尾氏の出身で、長尾景虎と言いました。長尾家の家督を継いだ後、主家である関東管領・上杉憲政の養子となり上杉家を継ぐこととなったのです。
当主となった謙信は内乱続きの越後を統一し、武田信玄との戦いをはじめ、周辺諸国に大きな影響を持つ大名となりました。しかし天正5(1577)年3月、本拠地・春日山城にて倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。死因は脳溢血とも言われていますが定かではありません。
なぜ謙信に女性説があるのか?八切止夫氏の説
上杉謙信女説を唱えたのは、作家の八切止夫氏です。
氏の説によれば、スペインで発見されたゴンザレスという人物がフェリペ2世に宛てた報告書の中で「上杉景勝は叔母が開発した佐渡の金を持っている」と記しているということでした。
景勝は謙信の姉の子で、謙信に他に姉妹はなく、文中の叔母というのが謙信に当たるのではないかというのです。
また、家康の外孫・松平忠明による「当代記」に、謙信の死因が「大虫」であると書かれており、「大虫」が味噌の中でも赤味噌を指し、これが月経の隠語となるため、謙信の死因は婦人病や月経関連のものではとしています。加えて、瞽女(ゴゼ)歌という民謡の中で、「男も及ばぬ大力無双」と謙信のことを唄っているのだそうです。
しかし氏の説には反論も多く、これが確実とは言い切れません。
その他の女性説の根拠:生理があった?独身を通したから?
女性説となる根拠のひとつは、謙信が生涯独身であったことです。側室がいた形跡も見当たらず、小姓がいたくらいでした。
そして、毎月10日前後に腹痛を起こし、合戦中であろうが陣を引き払って部屋に籠ってしまったのだそうです。毎月決まった時期に起こる腹痛といえば、生理痛以外にはちょっと思いつきません。
また、謙信は源氏物語や伊勢物語といった恋愛ものを好んで読んでいたと伝わっています。
歌会では達者な恋歌を披露したとも言われています。筆跡も女性的だったそうですが、そういうところを女性に直結するのはいささか早計に過ぎるかもしれません。ただ、女性的な嗜好があったのでしょうね。
現在に残る謙信は、当たり前ですがすべて男性として描かれています。女性説の側は、江戸幕府が定めた武家諸法度により女性城主が認められなくなったため、外様大名の上杉氏が難癖をつけられないよう、予防策として謙信が女性であるという証拠を処分したのではないかとしています。
いかがでしょうか。
毎月10日前後の腹痛などは確かにおかしいですね。ただ、科学的な結論が出ているわけではなく、資料だというゴンザレスの報告書や瞽女(ゴゼ)歌が、現在では確認できないようです。結局のところ、謙信女性説が本当であるかは不明です。もしかすると、まだ何か決定的な証拠が見逃されているのかもしれません。さて、謙信はあの世でどう思っているでしょうか?
(xiao)