歴史上の偉人達は子孫繁栄の為、正妻の他にも多くの女性と肉体関係を持っていました。
現代社会で多くの女性と不倫関係にあったら大変なスキャンダルになりますが、歴史上の偉人達が生きていた時代は当たり前の事だったのです。
今回は様々な観点から、いわゆる「エロい」偉人達をピックアップしてみました。
戦国時代一のエロ武将!? 豊臣秀吉
戦国一のエロ武将といえば、女好きとして知られる豊臣秀吉でしょう。
彼は親族が少なかったこともあり、子供を授かるために天下統一を果たす前から多くの女性をナンパ。その数なんと14人以上、他にも彼と肉体関係を持った女性は300人ほどいたそうです。秀吉はこんなに多くの女性を囲んでハーレム状態だったにも関わらず、女性漁りをやめなかったそうです。
子供を作りすぎて幕府が傾いた!? オットセイ将軍・徳川家斉
徳川11代将軍・徳川家斉は、精力増強に努めており、オットセイの陰茎を粉末にして飲んでいたそうです。そのため、彼についたあだ名は「オットセイ将軍」。そうとうな好き者ですね・・・。
彼は「オットセイ将軍」の名にふさわしいほどの絶倫で、16人以上の側室を持ち、子供の数は男女合わせて53人もいたそうです。
当時幕府の財政は危機的状況にあり、財政を立て直そうと幕臣達が頑張っていましたが、家斉の子供の養育費が莫大だったため、幕府の財政が大変圧迫されたそうです。
芸者大好き!初代内閣総理大臣・伊藤博文
明治国家の基礎を作った初代内閣総理大臣・伊藤博文もエロい偉人として有名です。
彼は松下村塾の秀才・入江九一の妹であるすみ子を最初の妻として迎え入れました。しかしその後、馬関の芸者に入れ込み、結局すみ子と離縁してこの芸者を嫁に迎えたのです。
その後も彼はどんどん芸者と関係を持ち、自宅や別荘に住まわせました。中には、12~13歳位の女の子もいたそうです。
また、彼は芸者と情事が終わった後、他の芸者を呼んで一緒に寝ていたなんてこともあったそう。相当女好きだということが伺えますね・・・。
「エロい」の指標は人それぞれですが、今回は女好きで有名なエピソードを持つ3人をご紹介しました。
昔の偉人たちは、現代社会に生きる私達の想像も及ばないようなハーレム状態にあったことが分かりますね。うらやましい反面、オットセイまでいくとドン引き・・・なんて気もしますが。
あなたが思う、歴史上1番エロい偉人は誰でしょうか?