池波正太郎の『真田太平記』は、私達を真田ワールドへ誘うバイブルであり入門書だ。この小説によって、幸村や真田一族の虜になった人も多いはず。真田の城・上田城(長野県上田市)を訪れた帰り道、思わず池波正太郎真田太平記館へ立ち寄ってしまうのは私だけではないだろう。
文庫全12巻の超大作だが、ずっと心地よい浮遊感がある。物語に弛みがなく、いつまでもこの世界にいたくなる。知略や権謀、愛憎、目に見えない時間の流れや心理の変化が、常にありありと目に浮かぶからだ。
真田父子の波乱に満ちたドラマを縦糸とするなら、横糸として織り上げられるのは真田忍びと徳川方の甲賀・山中忍びとの闇の争い。もはや史実かどうかは問題ではなく、真実と嘘が複雑に絡み合いながら融合して独自の世界をつくりだしているのが、この小説の魅力だ。真田父子の生き様を記した戦国モノ小説と、超人的な忍びの世界を描いた忍者モノのエンターテインメント小説が融合した小説といったところだろう。
多くの城が登場するのがたまらない。第1巻の冒頭でいきなり登場するのは、岩櫃城(群馬県東吾妻町)。いわずもがな真田氏にとって上州方面進出の拠点となる重要な城で、群馬県内ではトップ5に入る見ごたえ抜群の名城だ。
『真田太平記』には、昌幸と草の者(真田忍び)の頭・壺谷又五郎が“地炉の間”と呼ばれる部屋で密談するシーンが登場するのだが、この地炉の間があったのが岩櫃城なのだ。何度訪れてもそれらしき場所など見当たないのだが・・・その代わり、山頂から山麓へずどんと一直線に落ちる竪堀が出迎えてくれる。
岩櫃城と沼田城、真田氏にとって重要な2つの城を結ぶ沼田街道の中間に中山城(群馬県高山村)という城があるのだが、この城も登場する。なかなか、城ファンの心を掴んでくれるじゃないか。中山城は、激化する真田と北条の抗争において、北条が沼田攻略のために真田領内へ切り込んで築いた、いわば勢力の境目に置かれた城だ。真田流の城が点在するこの地域では異彩を放ち、北条らしい技巧性がある。重なるように配置された曲輪間には、敵の視界を遮るべく折れがつけられた空堀がめぐる。とりわけ、主郭を這う大規模な横堀がたまらない。
『真田太平記』では、北条に城を奪われた後に名胡桃城へ逃げ込んだ中山城主・中山九兵衛実光が、わずかな家臣とともに切ヶ窪という地の小屋に潜み中山城を監視する様子が描かれる。敗れし者の生き方に心を打たれてしまうではないか。…と思いきや、この中山九兵衛実光が北条方の沼田城主・猪俣邦憲と通じ、かの“名胡桃城事件”を引き起こすという驚きの展開が待っている。城というフィルターを通して読んでいるだけでも、小さなドラマが次々に展開していくのだ。
中山城が登場する第3巻・上田攻めは、第一次上田合戦、小田原攻め、朝鮮出兵の直前までと一気にストーリーが展開する。前半にたっぷり描かれるのは、上田城での攻防。読めばきっと、上田城へ行きたくなってしまうだろう。
残念ながら、現在の上田城は天正11年(1583)に昌幸が築いた城ではなく、仙石忠政が寛永3年(1626)以降に再建した姿。小説に登場する“現存する城門”も、石垣や水堀も、真田時代のものではない。しかし、基本設計は踏襲しているとされ、城の命ともいえる真田の見事な選地、城の骨組みは今でも楽しめる。
上田城は太郎山南麓、上田盆地北部にある千曲川支流の尼ヶ淵に面した崖上に築かれ、千曲川、矢出沢川を引き込んで総構(外郭ライン)を構築していた。尼ヶ淵跡にあたる城南の駐車場から見上げれば、ざっくりと台地を切り落としたような急崖の上に城が築かれているのがわかるだろう。ぜひともこの地に立ち、高低差を活かした城づくりの妙にぐっと胸高まっていただきたい。
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(文・写真/萩原さちこ)