戦国武将で誰と誰が同い年、というをまとめたところ「意外に知らなかった」「分かりやすい」とたくさんご意見をいただきました。
【信玄は幸村のお館様じゃない】政宗&幸村は同い年!学年別で見る武将の年齢まとめ
やはり皆さん映画や大河ドラマの印象から、正しい年齢を意外と知らないのかもしれませんね。
これは戦国時代だけでなく、やはり敵味方入り乱れて戦った動乱の幕末にも同じことが言えそうです。
それでは、幕末に登場した人物の年齢を考察していくことにしましょう!
最強の年代!?1836年~1838年
坂本龍馬って1836年生まれだったな・・・という筆者の思い付きから調べてみた結果、1836年に生まれた幕末の偉人たちには驚きました。
榎本武明、松平容保、そしてNHKの連続テレビ小説で一躍注目された五代友厚など、様々な方面から明治維新と関わった人物が同じ年に生まれています。
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四者四様の生き方をしており、それぞれが時代を動かす役割を果たしていたのですね。
1836年だけではありません。1837年には板垣退助と徳川慶喜がこの世に生を受けています。
そして1838年には、後藤象二郎や中岡慎太郎が生まれています。また、「人斬り」岡田以蔵や、山縣有朋、大隈重信も同じ年の生まれです。
これだけの偉人たちがこんなに近い時期に生まれているとは驚きです!
沖田・斎藤・藤堂!同い年の新選組メンバー
1844年生まれの新選組メンバーは、沖田総司・斎藤一・藤堂平助です。
マンガや小説のイメージから、早逝した沖田は一番年下の坊ちゃん的なイメージがあり、斎藤一はもっと大人のイメージがあったので、同い年とは意外でした。
近藤(1834年生)と土方(1835年生)はやはり結構年上になるので、若い隊士をまとめあげていた姿が浮かびますね。
お揃いの鞄(ヴィトン)です。後藤象二郎と板垣退助
1837年生まれの板垣退助、1838年生まれの後藤象二郎は同じ土佐に生まれ、幼馴染として育ちました。
1歳違いの2人は、お互いを「やす(保弥太:後藤の幼名)」「いのす(猪之助:板垣の幼名)」と呼び合う仲でした。
明治政府で要職に就いた2人は、立憲政治の実状を視察するべく渡欧します。その時立ち寄ったのが、ルイ・ヴィトン本店でした。後藤はそこでトランクを買い求めています。その時の顧客名簿が現存しています。
一方、板垣もヴィトンのトランクを愛用していました。「ITAGAKI」と名前が入った実物が高知の自由民権記念館に寄贈されています。
普通に考えれば、渡欧したときに2人でヴィトンを訪れ購入したというのが自然ですよね。
ただ、板垣の名が名簿にあるとは伝わっていません。また、後藤がトランクを買って板垣にあげたという話もあります。
明治政府のお偉方が嬉しげに鞄を買う図は、何とも微笑ましいですね。
身分も年齢も気にしない、井上馨と伊藤博文の友情
長州出身の井上馨(1836年生)と伊藤博文(1841年生)ですが、その身分にはかなり差がありました。
片や井上は藩主毛利家に仕える家柄、片や伊藤は農民出身の下級武士でした。
2人の出会いは江戸の藩邸だったようです。
藩内は身分意識が強く仲間外れにされることもあった伊藤ですが、井上はまったくそんなことはなく接したそうです。
年齢差も5歳ありましたが2人は気が合い、夜通し議論をして交流を深めました。
明治政府で伊藤は初代内閣総理大臣となりますが、井上はその内閣で外務大臣を務めました。
大隈重信いわく、「(井上は)友情に篤い人だから、伊藤氏に頼まれると割の悪い役回りでも良く働いた」そうです。
良き兄貴分だったのでしょう。
また、2人には最大の共通点がありました。それは、大の女好きだったということです・・・。
だから仲がよかったのかもしれませんね。
戦国時代と同様、幕末の志士たちにも意外な同い年や共通点を発見することができました。幕末の舞台に登場する人物は本当にたくさんいますので、調べてみるともっと意外な発見ができるかもしれませんね。
(xiao)
参照元:高知新聞
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