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【 危な過ぎて禁止令も?】 軍事訓練から伝統文化まで、日本のスポーツの歴史

【 危な過ぎて禁止令も?】 軍事訓練から伝統文化まで、日本のスポーツの歴史

盛り上がった2016年リオ五輪ことリオデジャネイロオリンピックも、ついに閉幕しましたね。
オリンピックは、4年に1度のスポーツの祭典。普段はスポーツに興味ない人も含めて、世界中の人々を惹きつけます。
そこで日本における「スポーツの歴史」について、改めて振り返ってみました。

日本におけるスポーツの普及は?

スポーツの語源は、ラテン語の「deportare(デポルターテ)」だと言われています。
意味は、「ある物を別の所に運ぶ」。そこから、「憂いを取り去る」「荷を担わない(働かない)」という意味も生まれました。スポーツは、日々の憂いを取り去るための娯楽としてスタートしたようです。

スポーツという言葉と各種目が日本に伝わったのは、例に漏れず幕末の開国がきっかけです。最初に日本社会に導入されたのは、体操。ただし娯楽としてではなく、軍事訓練の一環として伝わり採用されました。
明治時代になると大学教育の一環としても取り入れられるようになり、そこから社会に浸透していきました。特に人気だった種目は、マラソン(長距離間走)と野球だったようです。
戦後にテレビが普及すると、野球の人気はさらに高まります。
テレビの影響力はやはり大きく、プロレス、ボクシング、相撲など定期的に放送される種目にお茶の間の人気が集まっていたようです。

日本伝統の“スポーツ”も

スポーツという言葉が入る前も、日本ではスポーツのような娯楽競技が様々に行われていました。
「スポーツ」と呼ぶには違和感を覚える向きもありますが・・・ご紹介しましょう。

初期(平安初期頃)の弓術
初期(平安初期頃)の弓術

日本最古のスポーツは、弓術と狩猟だと考えられています。
弓矢の起源は縄文時代草創期、ただしスポーツというよりもあくまで狩猟の道具としての使用でした。
娯楽競技といった意味でのスポーツだと、記録上では飛鳥時代に蹴鞠、相撲、鷹狩が行われていたようです。

鎌倉時代に確立した騎射三物(流鏑馬、犬追物、笠懸)は、武士階級にとって代表的なスポーツであり、大事な嗜みでもりました。ただ、戦闘形態の変化と共に騎射三物は一度廃れてしまいます。

江戸時代に徳川吉宗が復興させますが、明治維新を迎えると再び衰退。現在は流鏑馬と笠懸は神事として残り、犬追物は作法が伝承されるのみ・・・のようです。

危険すぎて禁止されたスポーツ・石合戦

戦後、剣道などの武道はGHQに禁止され、現在はあくまでスポーツ化させたものが広く親しまれています。
が、外国の影響ではなく日本の政府によって禁止され廃れたスポーツもありました。
印地打ち、石打とも呼ばれる、石投げ合戦です。

5月5日に子供たちが合戦のように石を投げ合う行事が行われていたほか、大人たちの間でも問題解決の手段として石合戦が採用されていたようです。が、やはり負傷や死人も相次ぎ、その危険性ゆえに度々禁止令が出されますが、江戸時代まで続きました。
以降、端午の節句での行事に僅か行われるに留まったようですが・・・現在でもやってる地域、あるんでしょうか。

石合戦の有名なエピソードとしては、徳川家康の幼年時代の逸話「安倍川の石合戦」や、武田信玄が三方ヶ原の戦いで徳川軍を挑発した時に活躍した石礫隊(投石衆)などがあります。織田信長も幼少時に模擬実戦として親しんでいたのだとか。

「東照社縁起絵巻」より、安倍川の石合戦の図(紀州東照宮蔵)
「東照社縁起絵巻」より、安倍川の石合戦の図(紀州東照宮蔵)

似たものでいうと、雪合戦もあります。
日本では『源氏物語』に記述があることから、少なくとも平安時代までは遡れるとのこと。
新潟県魚沼市では、戦国時代に上条定憲と長尾為景が戦った際、矢が尽きた後に雪を固めて投げ合ったと伝わっています。
雪合戦は、競技化して世界的に親しまれるスポーツにもなっていますね。
国により歴史の違いはあれど、スポーツの楽しみ方は世界共通だということが分かります。

(Sati)

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