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城郭研究家・西股総生の【 戦国の城・ネコの巻 】第5回「夏はゆるりと平城を」

皆様、お暑うございます。戦国の城の極意をライトに伝授する「戦国の城・ネコの巻」ではありますが、この暑さの中で山城の話をするのは気が引けまする。こんな時は、公園化された近世の平城を歩くにかぎります。今回は、関ヶ原合戦から大坂の陣までの間に築かれた二つの平城、駿府城佐賀城を紹介いたしましょう。

復元された駿府城の巽櫓と東御門。新幹線を降りて平らな市街地を10分歩くと、これが見られる。
Ⓒ西股総生

静岡市の中心部にある駿府城は、徳川家康の隠居城として慶長12年(1607)から本格的な築城が始まりました。本丸を中心として二ノ丸、三ノ丸が回字形にとりまく典型的な「環郭式」。本丸の石垣と堀は、明治時代に城に入った陸軍によって崩され、埋められてしまいましたが、二ノ丸・三ノ丸の石垣や水堀はよく残っています。

堀に沿って歩いていると、この城の広大さが実感できますよ。さすがは天下人・家康の城! と同時に、「坂を登る」と動作が生じないことにも気付きます。わりあい平らに思える小田原城や江戸城、大坂城でも、どこかで必ず坂を登らされるものですが、駿府城にはそれがまったくない。地形の高低差を武器とせずに、ひたすら人工物によって守りを固めてゆく、という平城の原理を足の裏から実感できるのです。

よく見てゆくと、場所によって石垣の積み方に違いがあることもわかります。江戸時代に地震や台風で崩れて、何度も積み直したからですね。中には、コンクリートブロックみたいな積み方をしているところもあって、これは陸軍の仕業。「な~んだ、城の遺構じゃないんだ。」なんて言わないで下さい。これは、近代以降も城が生き残ってきた証(あかし)。例えて言うなら、刀傷が武勲の証となるようなものです。

僕のお気に入りは、三ノ丸の南側にある大手御門。ここは立派な枡形虎口となっていて、入ると静岡県庁が建っています。大手御門の枡形を入ると県庁だなんて、城が今でも息づいているみたいでうれしいじゃないですか。

発掘調査が進む駿府城の天守台。写真は北西隅の部分。作業員と比べると石の大きさがわかる(2017.5.18撮影)
Ⓒ西股総生

現在、駿府城では失われた本丸の発掘調査が進められています。昨年からは天守台の発掘もはじまって、少しずつ進んでゆく調査の様子をフェンス越しに見られるようになっています。すぐ近には情報公開用のプレハブがあるので、最新の調査状況を知ることもできます。それにしても、何と巨大な天守台! 石垣も立派! お城ファンなら、これを見逃さない手はありませんね!

もう一つ付け加えるなら、駿府城の前身は今川氏館。そう、「おんな城主直虎」にも登場する太守様の館が、城内のどこかに眠っているのです。場所は三ノ丸の市立病院のあたりともいわれていますが、詳しいことはまだわかっていません。今後の発掘調査に期待しましょう。

佐賀城の本丸に残る鯱の門。江戸中期の建物だが、重文指定の櫓門は貫禄も充分!
Ⓒ西股総生

お次は、鍋島家代々の居城として知られる佐賀城。広い水堀に囲まれた、土造りのだだっ広い城で、城内に官公庁や学校が建ち並んでいる感じは駿府城と同じ。パッと見は地味な印象なんだけど、意外な見どころがあるのです。

この城で有名なのは、本丸の入口にある鯱(しゃち)の門。櫓門としてはかなり立派な造りで、重要文化財に指定されています。近づいてよく見ると、門扉や門柱には銃弾の痕が! これは明治7年(1874)、江藤新平が不平士族を率いて起こした「佐賀の乱」の時にできたものなのです。おっと、門の内側に付属している番所も貴重な遺構なので、見逃さないようにね。

本丸には現在、御殿の主要部が復元されていて(一部は現存建物)、中に入ると涼しい! 復元建物なので、ちゃんと冷房がきいているのです。夏の平城歩きで大切なのはココ。城の中や周囲には公共施設や飲食店などがあるので、暑さにへこたれても涼む場所には事欠きません。

さて、御殿でたっぷり涼んだら、おっと、じっくり見学したら外に出て、この城最大の見どころである天守台の石垣へと向かいましょう。この天守台は慶長14年(1609)に鍋島勝茂が築いたもので、駿府城とほぼ同時期なので、石の積み方を比べてみると面白いのですが…って、あれ? 天守台への登り口がない!?

鯱の門の前から見た天守台。門に殺到する攻め手を背後から狙える位置にあることがわかる。右手の芝地は堀の跡。
Ⓒ西股総生

この天守台、何と本丸からは登れないようになっているのです。本丸から一旦出るか、または二ノ丸から鯱の門の前を通って、石垣の下の狭い通路(犬走り)を歩き、枡形虎口に入らなければ天守台にたどり着くことができません。

なぜ、こんな異常な構造になったかというと、佐賀城を築いたのが鍋島勝茂だから。鍋島氏はもともと戦国大名・龍造寺氏の重臣。ところが、龍造寺隆信が沖田縄手の合戦で戦死したあと、勝茂の父の直茂は龍造寺家中を実力で束ね、豊臣秀吉からも事実上の大名として扱われるようになりました。

勝茂が佐賀城を築いた頃は、まだ龍造寺氏が健在だったので、お飾りの殿様を本丸に住まわせて、自分は二ノ丸に屋敷を構えました。でも、いざとなったら天守にはオレが入って仕切るから、殿様は本丸でおとなしくしててくれ、というわけ。

そんな下剋上の様子が、まんま城の構造に反映されているなんて、面白いでしょう? 鯱の門と御殿だけ見物して帰ってしまうなんて、もったいないぞ!

歩き疲れたら、冷房の効いた喫茶店で高校野球を見るにゃあ。猫騒動なんて、御免だにゃあ。
(写真提供:いなもとかおり)

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【 戦国の城・ネコの巻 】連載一覧
第4回「本当は怖くない八王子城御主殿の滝」
第3回「天守って何だ!」
第2回「深大寺城どうでしょう?」
第1回「プロローグ」
【 城の本場は首都圏だった!? 】続100名城もあり!『首都圏発 戦国の城の歩きかた』が発売

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