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大河ドラマ「西郷どん」時代考証の大石学先生に聞いてみた! 西郷隆盛ってどんな人?

大河ドラマ「西郷どん」が始まるまであと3か月! SNSに流れてくる「西郷どん」の話題にワクワクが止まりません。
明治10年(1877)の今日、9月24日は、薩摩藩の下級武士に生まれ、明治維新、江戸城無血開城を成し遂げる主人公・西郷隆盛の没日。西郷隆盛とは、いったいどんな人物なのか。「西郷どん」の時代考証を担当されている、学芸大学教授大石学先生に、お話を伺ってきました!

大石学先生

西郷隆盛は「優しい世界」を目指していた!

――西郷隆盛のイメージといえば、肖像画や上野に建てられた銅像の姿から想像される「豪快さ」。明治政権下で力を失っていく武士たちの代弁者として西南戦争を戦い、武士の時代の終焉を象徴する人物というイメージです。

大石「多くの人が想像する通り、西郷隆盛は豪快な人物だったようですね。当時名君といわれた薩摩藩主の島津斉彬から直接教えを受ける立場にあり、とても開明的な人でした。薩摩藩は倒幕派としてひとくくりに語られますが、西郷は、大久保利通らとは異なる国家観を持っていたように思います」

――幕末は攘夷や佐幕という思想で語られることが多いですが、幕府を倒したあとの国家観は、志士の中では異なっていた?

大石「明治政府は彼の理想ではなかった。長州勢力や大久保らが目指したのはヨーロッパを真似た西洋風の国です。ここが西郷の理想と異なったのだと思います。

西洋は、人間と自然が分離し、文明・反文明を分かち、勝ち負けを問う二元論的な文化です。例えば革命となれば、敗軍の指導者はギロチンなど厳しい処分が行われる。対して、日本は、比較的緩い処分です。明治政府は榎本武揚勝海舟など幕臣たちを登用し、徳川慶喜松平容保も切腹にしない。もちろん、武力衝突をした同士には遺恨は残りますが、明治維新には良くも悪くもルーズさがあり、痛みの少ない省エネ・省ロスの政治改革といえます。

江戸時代は長期間、戦のない「平和」の時代であり、人々は助け合いながら「お互い様」の生活をしていました。「お互い様の世界」は、江戸時代265年間で日本人が作り上げた「江戸の達成」といえるでしょう。

明治になって、そのようなルーズな世界に、ヨーロッパの個人主義的な勝ち負けの文化が持ち込まれました。政府は追い付け追い越せでヨーロッパ文化を取り入れ、日本社会は急激な変化を求められます。江戸時代的なものは「旧」、欧米的なものを「新」と、二元的で窮屈になっていく中、西郷は、日本らしいルーズさがある優しい国を作ろうと考えたのだと思います」

浴衣姿で優しい印象の上野の西郷像(右)と、軍服姿でキリッとした鹿児島の西郷像(左)。

西郷隆盛は戦がキライだった!

――西郷は戊辰戦争、『征韓論』、西南戦争で、好戦的なイメージもありますが…。
 
大石「戊辰戦争までの西郷は、あくまで薩摩藩の人間ですから藩の意向からは外れられません。「薩摩ファースト」をベースに考える点で、同じ倒幕派でも吉田松陰坂本龍馬ら、いわば自由人とは生き方が異なると思います。明治維新後の政治家・西郷に、彼の思想の到達点を見ることができます。

西郷は力よりも交渉による解決を好んだ平和主義者だったと言えます。朝鮮を開国させることを目的とした『征韓論』の議論では、西郷は力で開国させることには反対の立場です。当時、朝鮮は攘夷で固まっていました。日本は朝鮮に近代的国際秩序にもとづく開国を望んだので、朝鮮と対立します。西郷は頑なな朝鮮に対し、戦を仕掛けるのではなく、近代国家としての朝鮮の独立を促すために、対話による解決を目指しました。自分たちも苦労して開国をしたので、その手本になるつもりだったのだのでしょう。しかし、当時は西欧化を急ぐグループが政治を主導しており、西郷は政争に敗れて政界を追われることになります。

西郷最後の戦いとなる西南戦争では、不平士族たちの総大将となります。多くの場合、西郷は武士の代弁者で、武士の滅びのシンボルとして語られますが、西郷は最後まで戦には消極的でした。
当時政府は富国強兵の近代化を急ぐばかりに弱者を切り捨てる二元的な国家に向かっていました。西南戦争も、明治維新で武士が失業したことに起因しています。十分な保証もなく世の中に放り出された武士たちに、何らかの仕事を与えるという弱者救済のための旗揚げであり、たんに不平武士の総大将として国に反逆したわけではないのです」

官軍と戦う西郷隆盛を描いた浮世絵。

西郷隆盛を見直すと日本の進むべき道が見えてくる

大石「西郷隆盛は豪快というイメージで語られますが、自らは少年時代の傷から剣が握れず、勉学に励んで道を開いた苦労人です。日本人好みのお人好しな面もあります。その彼が理想とする国家は、西洋一辺倒ではなく、武力に頼らず対話で解決する平和的な国家でした。

当時西郷のように戦を避け、対話による解決を目指す人物としては、福井藩主の松平春嶽や土佐藩主の山内容堂などがいます。朝廷と幕府が協力する公武合体政策を進め、大政奉還も実現させたのですが、最終的に倒幕派・佐幕派から攻められ、発言力を失います。その後、起きたのが鳥羽伏見の戦いです。交渉役を担う第三勢力の大切さがわかります。

左・松平春嶽(福井市立郷土歴史博物館蔵)
右・山内容堂(東洋文化協會蔵)

西郷は12歳の息子・菊次郎をアメリカに留学させ、農業を学ばせています。日本社会の助け合い精神・システムを基礎に、海外文化の良いところは取り入れて、社会全体をボトムアップすることを目指していたといえます。西郷隆盛の思想を見直すと、現代日本の立ち位置、進むべき道が見えてくるのではないでしょうか」

実は平和主義者だった西郷隆盛。もしも西郷が明治政府に残っていたら、どんな日本になっていたのでしょうか。混迷する現代社会に必要なのは西郷さんの理想かも。西郷隆盛の没日に、今一度、西郷隆盛を見直してみませんか?

次回は、時代考証とはどんなお仕事か、時代劇の楽しみ方をお伺いします!


大石学(おおいしまなぶ)
1953年、東京生まれ。東京学芸大学卒業。同大学院修士課程修了、筑波大学大学院博士課程単位取得。現在、東京学芸大学教授・副学長。NHK大河ドラマ「新選組!」「篤姫」「龍馬伝」「八重の桜」「花燃ゆ」「西郷どん」の時代考証を担当。2009年に時代考証学会を設立し、同会会長を務める。10月4日に『なぜ、地形と地理がわかると幕末史がこんなに面白くなるのか』(洋泉社)発売。

編集協力/釘宮有貴子(株式会社KWC)

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