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【 左利きは本当?佩刀は? 】『新選組!』時代考証家が語った斎藤一の真実

大正4年(1915年)9月28日に亡くなった新選組隊士・斎藤一
幕末、新選組の副長助勤や三番隊組長として活躍し、戊辰戦争では旧幕府軍に従って新政府軍と戦いました。明治維新後も長く生きたものの、いまだ謎の多い人物でもあります。近年、ようやく晩年の写真が発見された斉藤ですが、いままで伝えられてきたイメージとはかなり違う姿に衝撃を受けた方も多かったのではないでしょうか。

そこで今回は、NHK大河ドラマ「新選組!」、アニメ「活撃 刀剣乱舞」など、大ヒット作品の時代考証を担当した歴史作家・山村竜也先生に、剣士・斎藤一にまつわるエピソードについて語っていただきました。あの有名な逸話はウソだった? 新選組ファンはもちろん、刀剣ファンも必見です。

平成28年(2016)に発表された斎藤一と家族の写真。
左から次男の剛、藤田五郎(斎藤一)、長男の勉、妻の時尾。1897年(明治30)に撮影されたもの。

斎藤一の刀剣は「池田鬼神丸国重」ではない?

9月28日は、新選組三番隊組長・斎藤一の命日です。亡くなったのは大正4年(1915)の今日、満71歳でのことでした。

新選組において斎藤は、沖田総司永倉新八と並ぶ隊内最強の剣士として知られていますが、その実像はいまだに謎に包まれています。そこで今回は、斎藤の特に剣士としての部分を取り上げ、少しだけ真実の姿に迫ってみることにしましょう。

有名な剣士が何という刀工の作った刀を持っていたかを知りたいのは、歴史好きとしては当然のこと。新選組局長・近藤勇が名刀「長曽根虎徹」を持っていたのと同じように、斎藤一の佩刀が何であったのかは大いに気になるものです。

そこでためしにネット等で何と書かれているかを見てみると、どれもみな「池田鬼神丸国重」と書かれていて、動かぬ事実のようになっている。私はそのことに、愕然としてしまうのです。
なぜなら――。「池田鬼神丸国重」説は、昭和50年代にある人が歴史雑誌に発表した、京都の刀研ぎ師の記録によるものですが、それが偽文書であることが現在では判明しているからです。その文書にはこう書かれています。

斎藤一 摂州住池田鬼神丸国重 天和二年九月日 二尺三寸一分 刃コボレ小無数           
(「歴史と旅」昭和54年7月号より)

有名な池田屋事件のあと、戦闘によって傷ついた新選組隊士の刀を研いだ記録だといい、確かにそれらしい体裁の整った文書です。これが本物であれば、斎藤の佩刀は「池田鬼神丸国重」ということになり、斎藤にふさわしい強そうな名の刀だと歓迎されたでしょう。

しかし、残念ながらこれは偽文書、つまり後世に作られた偽の文書だと判明しており、発表者ご自身も現在ではそう認められています。したがって、「池田鬼神丸国重」は斎藤の佩刀ではなく、過去の誤った情報が一人歩きして、事実と思われていただけのことに過ぎないのです。

発表者自身が偽文書と認めているにもかかわらず、誤った説がいつまでも生きているのですから、こんなおかしい話もありません。「池田鬼神丸国重」は斎藤一の佩刀ではない――という事実を、この機会に新選組ファンの共通認識にしてほしいものです。

では、斎藤の佩刀は正しくは何であったのか。残念なことに、それがわかっていません。新選組隊士の多くは、実は佩刀がわかっていないのですが、斎藤もその例にもれず不明なのです。
斎藤の場合、本人が使用した鍔(つば)まで現存しており、手がかりはありそうなのに、肝心の刀身がわからない。いつか本人使用の刀が発見されたり、そうでなくとも刀工名が記された文書が発見されたりすることを期待したいと思います。

斎藤らが最初の屯所とした壬生・八木邸(京都市)。
(写真提供:山村竜也)

斎藤一は本当に左利きだった?

斎藤一が左利きの剣士であることは、現在では広く認知されています。マンガや小説でクローズアップされたせいもあるのでしょう。

しかし、斎藤が左利きというのは、決して確定的なことではないのです。出典は『新選組物語』(子母沢寛著)が唯一のもので、殺害された隊士・谷三十郎の死体を検分していた斎藤と篠原泰之進の会話に次のようにあることによります。

斎藤は笑いながら、「槍の先生が、お突きを見事にやられているね、篠原君」という。篠原も笑って、「左りお突きさ、相手は君と同じに左利きの遣い手だよ。わッはッはッはッ――」「君と同じは止してくれ」わッはッはッと二人が笑って、籠へ死体を入れて引揚げて来た。
(『新選組物語』より)

子母沢寛は、これ以前に『新選組始末記』、『新選組遺聞』の2作を著していますが、それらには斎藤の利き腕のことは何も記していませんでした。3作目になるこの『新選組物語』にのみ、左利きのことが記されている。その点がやや不自然といわざるをえません。

とはいえ、作り話だと断定できるものでもありませんので、ひとまずはこのまま信じておくことにして、話を先に進めましょう。実は、何よりも読者の方々に覚えておいていただきたいことは、斎藤が本当に左利きであったかどうかではなく、左利きの剣士が刀をどう扱ったかということなのです。

斎藤一は「左片手突き」を得意技としていた?

斎藤が新選組隊長として戦った白河城(福島県白河市)。
(写真提供:山村竜也)

剣士つまり武士は、たとえ左利きであったとしても、刀を左右逆に持ったりは決してしません。必ず刀は左腰に差し、右手で柄を握って抜刀します。そのとき右手は刀の鍔に近い部分を持ち、あとから左手を鍔から遠い部分に添える。この持ち方は、右利きだろうと左利きだろうと、みな変わらず共通なのです。

マンガや、考証のしっかりしていない時代劇では、左利きの剣士が刀を右腰に差している作品もまれに見受けられますが、それはまったくの間違い。当時の武士は、多少不便であっても、武士としての決まりごとはかたくなに守ったものでした。
そして、そういう決められた持ち方で刀をふるった以上、いわゆる太刀筋に右利きか左利きかの違いは基本的にあらわれることはなかったのです。

では、利き腕の違いが刀の扱いにまったく影響しないかというと、実はわずかですが例外がありました。そのわずかな例の一つが、「左片手突き」なのです。
こう書くと、「刀で相手を突くのに、右片手と左片手の違いなどないのではないか」と思われるかもしれませんが、そうではないのです。「左片手突き」というのは、刀を突き出す直前に右手を柄から離し、左手1本で相手を突く技。このとき左手は柄の鍔から遠い部分を握っているため、両手で突く場合よりも切っ先が遠くまで届く理屈になります。

この「左片手突き」は、右利きの剣士でも使うことはできます。しかし当人が左利き、つまり左手の力が普通よりも強い者が使った場合、その威力は何倍にも増して、しかも正確に相手を直撃することになるのです。

「左片手突き」を考案したといわれるのも、実際左利きの剣士でした。名を大石進といい、天保3年(1832)に筑後柳川から江戸に出て、有名道場を荒らしてまわった剣豪です。生来左利きの大石が繰り出す威力十分の「左片手突き」に、江戸の剣士たちは次々と敗れ去ったと伝わっています。

そこで斎藤一です。斎藤がもし左利きであったなら、この「左片手突き」を得意技としていた可能性があります。斎藤も大石進のことは話に聞いて知っていたはずで、自分と同じ左利きの剣士として当然意識していただろうからです。

篠原泰之進は、斎藤が「左片手突き」を使うことを知っていたのではないでしょうか。もっとも、傷口だけで「左片手突き」によるものだと判断するのは不可能に近いことです。だからこの場合、はじめから斎藤があやしいとにらんでいて、斎藤本人にかまをかける意味で左利きのことを口にしたとも考えられるのです。

もちろん篠原と斎藤の会話そのものが、子母沢寛による創作という可能性は残ります。しかし、かりに事実にもとづくものであった場合、斎藤が珍しい左利きの剣士であったことを伝えてくれる貴重な記述ということになるでしょう。

「左片手突き」を得意技とする左利きの剣士――。それが斎藤一の剣士としての実像と認定されるときが、いつかは来るのでしょうか。

阿弥陀寺(福島県会津若松市)にある藤田家墓所。斎藤は「山口一」、「斎藤一」、「山口次郎(二郎)」、
「一瀬伝八」、「藤田五郎」と生涯で5つの名を使っていたとされている。
(写真提供:山村竜也)


山村竜也(やまむらたつや)
歴史作家。時代考証家。東京龍馬会顧問。 時代考証を担当した作品に、NHK大河ドラマ「新選組!」「龍馬伝」「八重の桜」、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」(資料提供)、東宝映画「清須会議」、アニメ「活撃 刀剣乱舞」などがある。 おもな著書に、『いっきにわかる新選組』『いっきにわかる幕末史』『吉田松陰と松下村塾の志士100話』『戦国武将がわかる絵事典』『戦国武将ビジュアル人物大図鑑』(PHP研究所)、『真田幸村 英雄の実像』(河出文庫)、『真田幸村と十勇士』『幕末武士の京都グルメ日記』(幻冬舎新書)、『新選組の謎と歴史を訪ねる』(ベスト新書)、『八重と会津の女たち』(洋泉社新書)、『天翔る龍 坂本龍馬伝』(NHK出版)、『戦国の妻たち』(リイド文庫)、『新選組真史』(産学社)など。またマンガ『新選組刃義抄アサギ』(全8巻、スクウェア・エニックス)の原作をつとめる。

山村竜也先生の最新刊『世界一よくわかる新選組』が好評発売中!雑学から最新研究まで、貴重な資料や現地写真も満載。大人気の「新選組検定公認参考書」にも認定された、新選組ファンなら必携の一冊です。

『世界一よくわかる新選組』
(祥伝社)

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