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城郭研究家・西股総生の【 戦国の城・ネコの巻 】第8回「戦国の城は丸坊主だった?」

戦国の城の極意を虎の巻よりライトにお伝えする『ネコの巻』。今回は、戦国時代の城にはどの程度、木が生えていたのか、というテーマです。
なぜ、このテーマを選んだかというと、城の講座やツアーをやっていて、参加者の皆さんからいちばんよく出される疑問だからです。城に木が生えていたのか、いなかったのか、気になっている人は他にも多いんじゃないかな?

彦根城。最近、余分な木が伐採されて見やすくなった。
(写真提供:西股総生)

まずは、近世の城から考えてみましょう。幕末や明治のはじめに撮影された古写真を見ると、お城の中には松などが適度に植わっていますが、今のようにウッソウとはしていません。櫓や塀などがボロボロになっている割には、城内の植生はこざっぱりとしている感じです。江戸時代をとおして、城はこざっぱりとした状態に管理されていたようです。

ですから、いま見る城のほとんどは木が繁りすぎ。それもそのはずですね。明治維新でほとんどの城は廃城となり、荒れ放題となったわけですから。そののち、城の多くは公園となって、市民の憩いの場として親しまれるようになりました。

とはいっても、城を大名の屋敷や作戦基地として使うわけではありませんから、木が繁りすぎても別に不都合はありません。第2次大戦後に経済成長が進むと、城は町の中の貴重な緑地となって、むしろ木はできるだけ伐らないことが望まれるようになりました。

でも、あまりに木が繁りすぎてしまうと、城の景観は本来の姿からかけ離れたものになってしまいます。それに、根が張ることによって、石垣や地中に残されている遺構にも悪影響が出てきます。そこで最近では、一部の城で、本来の景観を取り戻すとともに、石垣や遺構をよい状態で保存するために、木を適切に伐採する動きが出ています。繁りすぎていた木がこざっぱりとすれば、本丸からの眺めもよくなるので、これは嬉しいことですね。

ほとんどの山城は山林となっている。写真は山形県の畑谷城。
1600年(慶長5)に最上義光が上杉軍に備えて築いたが、直江兼続・前田慶次らの猛攻を受けて落城した。
(写真提供:西股総生)

戦国時代の城の場合はどうだったのでしょう?城の様子を描いた復元イラストなどを見ると、山城はほとんど木が生えていない状態に描いてあることが多いようです。たしかに木が生えたままでは、堀を掘ったり土塁を積みあげたり、曲輪を平らにならしたりすることができません。では、戦国の山城は丸坊主だったのでしょうか…。

木を全部伐って土をむき出しにしてしまうと、山は保水力を失います。これでは水脈が涸れて、井戸を掘っても水が出ないということになりかねません。大雨が降ると、山が一気に崩れてしまう心配も出てきます。
それに、丸坊主の山では城内の様子も遠くから丸見えになってしまいます。実は、戦国大名が出した文書を見てゆくと、国境地帯や戦略の要衝などは、敵から丸見えにならないようにやたらと木を伐るな、と村々に命じている例があります。

1590年(天正18)に豊臣秀吉北条氏を攻めたとき、伊豆の山中城の攻略に参加した武士が書き残した『渡辺水庵覚書(わたなべすいあんおぼえがき)』という記録があるのですが、それを読むと、「二ノ丸まで攻めこんだが本丸がどこかわからなかったので、木に登って様子を見た」とか、「大きな杉が何本も立っているあたりから鉄砲の煙が上がっていた」という話が出てきます。これらを読むかぎり、山城は丸坊主ではなかったことがわかります。

1590年(天正18)に豊臣軍が攻略した山中城は、芝生が張られた史跡公園として整備されている。
(写真提供:西股総生)

戦国時代の土の城を見ていると、「こんな大きな堀を掘るのは大変だっただろうなあ」と思ってしまいますよね。でも、城を築くときには堀を掘るより先に、まず木を伐採して切り株を抜かなくてはなりません。これは、かなり大変な作業です。

大変な作業は、はしょれるものなら、はしょりたいでしょう? そう思って戦国時代の土の城を見てゆくと、曲輪の中がきちんと平らになっていない場合が、意外に多いことに気づきます。きちんと平らにならされていない曲輪は、伐採や抜根の作業を省略していたにちがいありません。

それに、戦国の城造りは大急ぎです。とくに最前線の城では、いつ敵が攻めてくるか、わかったものではありません。曲輪の中を平らにならして建物を建て、住み心地をよくするなどというのは後回し。まず敵に備えて堀を掘ったり、土塁を積んだりする方が大事です。そんな城で、いきなり木を全部伐ってしまったら、城兵たちは雨も日差しも避けられません。これでは、敵が攻めてくる前に参ってしまいそうです。

なので、戦国時代の城は、いま復元イラストなどで見ているより、もっとずっと緑が多かったのではないか、と僕は考えています。でも、復元イラストで木をたくさん描くと、肝心の城の様子がわかりにくくなってしまいます。イラストに描かれた丸裸の山城は、あくまで城の様子を説明するための表現上の工夫と考えた方がよいでしょう。

北条氏照の居城として知られる滝山城。下草の苅られた雑木林は四季折々に美しい。
個人的には、このくらいの苅り方が好ましいと思う。
(写真提供:西股総生)

最近、戦国時代の山城などでも、全面的に木を伐ってしまう整備が増えてきました。たしかに、こうすると堀や土塁の様子はよくわかるし、本丸からの眺めを楽しむこともできます。でも、はたしてそれは、戦国の城の本来の姿なのでしょうか。なにより、大雨が降ったときに保水力を失った山が一気に崩れてしまわないか、心配です。

戦国の城は何年も使いつづけることより、明日攻めてくるかもしれない敵に備えたもの。耐久性はあまり高くありません。それが、廃城になって何百年かたつうちに、土塁が崩れて堀が埋まり、草木が生い茂って、土の斜面が自然に安定する状態で残っているのです。

だとしたら、現在のわれわれが多少の不便を感じたとしても、安定しているそのままの状態で、後世に引き継ぐのがよいのではないでしょうか。伐採はほどほどに、と僕は思ってしまうのですが、皆さんはどうお考えですか?

「秋も深まってきたので、
山城へ行きたいにゃあ。でも、ネコは
草むらではダニに気をつけるにゃ」
(写真提供:いなもとかおり)

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【 戦国の城・ネコの巻 】連載一覧
第7回「櫓の話」
第6回「城の形はネコ耳をめざす?」
第5回「夏はゆるりと平城を」
第4回「本当は怖くない八王子城御主殿の滝」
第3回「天守って何だ!」
第2回「深大寺城どうでしょう?」
第1回「プロローグ」
【 城の本場は首都圏だった!? 】続100名城もあり!『首都圏発 戦国の城の歩きかた』が発売

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