歴人マガジン

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第2回「勝海舟は江戸無血開城をどうやって成功させたのか?」【歴史作家・山村竜也の「 風雲!幕末維新伝 」】


幕末維新の志士や事件の知られざる真実に迫る連載「風雲!幕末維新伝」。第2回のテーマは江戸無血開城です。2018年3月3日(土)~2018年3月26日(月)に上演される三谷幸喜氏の書き下ろし舞台「江戸は燃えているか TOUCH AND GO」の時代考証も担当する山村竜也先生が、勝海舟を軸に、知られざる江戸無血開城について語ります。

勝海舟

海舟によって救われた江戸の街

慶応4年(1868)3月13日、14日の両日、勝海舟西郷吉之助(隆盛)が会談した結果、江戸城は平和裏に開城されました。これにより、旧幕府軍と新政府軍が正面から衝突することが回避され、江戸が戦火に見舞われずにすんだのです。

西郷ら新政府側は3月15日を江戸総攻撃の日と決め、そのつもりで全軍に江戸を包囲させていましたから、戦争をぎりぎりの所で回避させた海舟の功績は多大なものでした。江戸の町は、海舟によって救われたといっても過言ではありません。

いったい海舟は、西郷に何を話し、総攻撃を中止させたのでしょうか。

わが国の歴史に残る偉業・江戸無血開城を、海舟はどうやって成功させたのか。今回は海舟と西郷の会談について、その意外に知られていない事実を明らかにしてみたいと思います。

突きつけられた降伏条件

3月9日、旧幕府軍事取扱・勝海舟(安房守)の手紙を持って、幕臣山岡鉄太郎が駿府(静岡)に駐屯する新政府軍東征大総督府のもとにおもむきました。新政府軍が江戸にやってくる前に、海舟としては敵対する意志はないということを伝えておこうとしたのです。

西郷と会談した山岡鉄太郎。

手紙を受け取ったのは、東征大総督府下参謀という重職にあった西郷吉之助(薩摩藩)。海舟とは4年前に一度面識があり、日本の進むべき道について語り合った間柄でした。その点では、海舟が交渉する相手として最適な人物といえたでしょう。

しかし、このとき西郷が旧幕府に提案した降伏条件は、海舟にとっては大変厳しいものでした。山岡が持ち帰った七箇条の降伏条件は次のとおりです(一部意訳)。

一、徳川慶喜は謹慎のうえ備前藩に身柄を預けること
一、江戸城は明け渡すこと
一、軍艦はすべて渡すこと
一、武器はすべて渡すこと
一、江戸城内の幕臣は向島に移り謹慎すること
一、慶喜の挙兵に手を貸した者たちは厳重に取り調べ謝罪させること
一、旧幕府側の者は自ら取り鎮めるようにし、もし暴挙をなして手に負えない者があれば新政府軍が鎮定すること

右の条々を速やかに実行すれば、徳川の家名存続については寛大な処置をおこなうこと

この条件のなかで特に海舟の意に反していたのは、第一条の徳川慶喜の身柄を備前藩(岡山藩)に預けるという部分でした。尊王の立場を明確にしている外様の備前藩に預けられるということは、いわば捕虜になるようなもの。海舟が応じられないと思ったのも当然のことでしょう。

徳川慶喜

海舟としては、徳川の家名を存続させるのと同時に、慶喜個人の安全も確保しなくてはならない。そこで、条件の第一条を次のように書き改めました。

一、隠居のうえ水戸で謹慎なされること

水戸家は徳川御三家の一つであり、前水戸藩主徳川斉昭の子である慶喜にとっては水戸は故郷でした。そこなら江戸城を離れることになったとしても、慶喜が安住できる場所と見なされたのです。

第二条以下も文言の一部は書き改められましたが、大筋では受け入れることとしました。ただし、第一条の改訂だけは絶対に譲れない。それが海舟からの西郷に対する回答でした。

西郷吉之助との会談

3月11日、西郷以下の新政府軍東征大総督府は江戸近郊の池上に到着。そこで西郷は海舟にあてて手紙を書き、会談を申し入れました。これにより3月13日、三田の薩摩藩蔵屋敷において両雄の会談が実現したのです。

西郷と勝の江戸城無血開城が話された
薩摩藩蔵屋敷跡に立つ
「江戸開城会見の地」の碑(港区芝)。

この日の会談は顔合わせという意味合いであったのか、和宮(静寛院宮・孝明天皇の妹で前将軍徳川家茂の妻)について話があっただけだったといいます。和宮の身柄を心配する西郷に向かい、海舟はこういって安心させました。

「皇女一人を人質に取り奉るというごとき卑劣な根性は微塵もござらぬ。この段はなにとぞご安心くだされい。そのほかのお話はいずれ明日まかり出て、ゆるゆるいたそうから、それまでに貴君も篤とご勘考あれ」(「氷川清話」)

この談話が事実であれば、初日の会談は本当に短時間で終わり、本題ははじめから2日目に話し合われることになっていたようです。江戸総攻撃は3月15日と決まっていましたから、まさにぎりぎりの日程で会談はおこなわれたのでした。

運命の3月14日、海舟は小者を一人従えただけで三田の薩摩藩蔵屋敷におもむきました。当日は、山岡鉄太郎や大久保一翁が海舟に付き添ったともいいますが、海舟自身は「従者一人」だけを連れていったと回想しています。

そしておこなわれた会談のなかで、海舟は降伏条件の改訂版を嘆願書という形で提出しました。慶喜の安全を確保すること、そして徳川家を無事存続させること。それが海舟に与えられた最大にして唯一の使命だったのです。

実際に会談が始まると、話は意外なほどスムーズに運んだといいます。

「さて、いよいよ談判になると、西郷は、おれのいうことを一々信用してくれ、その間一点の疑念もはさまなかった」

海舟は「氷川清話」のなかでそう述懐しています。私たちは江戸無血開城という重大な会談であるから、よほど難航したのではないかと思いがちですが、実際にはそうではなかったのです。
「氷川清話」には、西郷が語った言葉もしっかりと記録されています。

「委細承知した。しかしながら、これは拙者の一存にも計らい難いから、今より総督府へ出かけて相談した上で、なにぶんのご返答をいたそう。が、それまでのところ、ともかくも明日の進撃だけは、中止させておきましょう」

こうして翌日に迫った総攻撃は中止され、西郷が総督府を説得した結果、海舟が嘆願した慶喜の水戸謹慎と徳川家の存続が承認されたのです。4月11日、江戸城は無抵抗で新政府軍に明け渡され、無血開城という歴史的偉業がなしとげられたのでした。

海舟を信用して会談を進めた西郷隆盛。

海舟には秘策があった

実は、こうまでスムーズに会談が進められた背景には、海舟の秘策の存在がありました。その秘策とは、新政府軍が江戸に進攻すると同時に市中に火をはなち、敵の進路と退路を寸断するという驚くべき作戦でした。

1812年、フランス皇帝ナポレオンがロシアのモスクワに進攻したとき、ロシア軍がこの手を使ってナポレオン軍を撃退したといいます。それを海舟は江戸で再現しようとしたのです。

市中に放火する役目は、浅草の新門辰五郎らのとび職や博徒に海舟が直接頼んでまわりました。

「貴様らの顔をみこんで頼むことがある。しかし貴様らは金の力やお上の威光で動く人ではないから、この勝が自分でわざわざやってきた」と一言いうと、「へえ、わかりました。この顔がご入り用なら、いつでもご用にたてます」というふうでーー(「氷川清話」)

ならず者たちは海舟の申し出を快諾し、新政府軍の進攻にそなえたのです。もちろんこれは、そういう者たちとも日頃からつき合いのあった海舟にしかできないことでした。

放火と同時に江戸の人々を非難させる算段も立てられましたが、できればそんなことをしなくてもすむほうが海舟にとってもよかった。しかし、西郷との談判が決裂したときに、そうした奥の手を持っているといないでは大きな違いがありました。

万一の場合には江戸を焼け野原にしてでも徳川家を守るーー。そのことは結果的に口に出すことはなかったけれども、そんな捨て身の覚悟を背負っていることは、交渉の場で海舟の気迫となってあらわれたに違いありません。

江戸無血開城は、実は海舟の覚悟に裏打ちされた気迫によってなしとげられた偉業でした。交渉の場で大事なのはそういうことなのだと、海舟は私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

【お知らせ】
山村竜也先生が時代考証を担当する、三谷幸喜さんの新作書き下ろし舞台「江戸は燃えているか TOUCH AND GO」は、歴史をつくった偉い人たちと、歴史に名を残さなかった庶民たちの可笑しくも愛おしい、江戸無血開城をめぐる幕末群像喜劇。目指すは「新橋演舞場史上、もっとも笑えるコメディ」。チケットの一般発売は2017年12月16日(土)より。これは見ないわけにはいきません。

「江戸は燃えているか TOUCH AND GO」

作・演出:三谷幸喜
出演:中村獅童 松岡昌宏
松岡茉優 高田聖子 八木亜希子
飯尾和樹 磯山さやか 妃海風 中村蝶紫 吉田ボイス
藤本隆宏 田中圭
開催期間:2018年3月3日(土)~3月26日(月)
開催場所:新橋演舞場
チケット一般発売:2017年12月16日(土)午前10時〜
公式HP:江戸は燃えているか 特設ページ
http://www.parco-play.com/web/play/edomoe/



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