歴人マガジン

第14回「渋沢栄一と新選組の知られざる交流とは!」【歴史作家・山村竜也の「 風雲!幕末維新伝 」】


幕末維新の志士や事件の知られざる真実に迫る連載「風雲!幕末維新伝」。第14回のテーマは「渋沢栄一と新選組」です。

渋沢の近藤勇評

「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一

このほど新しい一万円札に肖像が使われることが決まった渋沢栄一は、明治時代の大実業家として知られますが、出身は意外にも農民身分でした。

天保11年(1840)に武蔵国榛沢郡の豪農の長男に生まれた渋沢は、少年のころから学問にたけ、将来を嘱望されます。22歳で江戸に出て、そこで出会った一橋家家臣・平岡円四郎の推挙により、25歳のときに同家に仕えて武士の身分を手に入れました。

慶応2年(1866)8月に一橋慶喜が徳川家を継いだため、その家臣団は自動的に幕臣に組み入れられ、渋沢も陸軍奉行支配調役という役職につきます。この陸軍奉行配下として京都に赴任していたとき、渋沢はあの個性的な男たちと出会いました。
幕府方の警察組織として京都の治安を守っていた剣客集団・新選組です。

その年の10月頃、幕臣大沢源次郎が謀反を企てているとの情報により、陸軍奉行調役の渋沢が捕縛に向かうという事件がありました。このとき、助っ人として呼ばれたのが新選組だったのです。

新選組からは局長近藤勇がじきじきに渋沢と面会し、大沢の捕縛について打ち合わせをしました。実際に会った近藤の印象について、渋沢はこのように語っています。

「一般から見ると非常に無鉄砲な向こう見ずの猪武者のように誤解せられているけれども、会って見ると存外温厚な人物で、無鉄砲な趣きなどさらになく、よく物事のわかる人であった」

幕末に近藤に接した多くの人が証言しているように、渋沢も、近藤を物事のわかった温厚な人物だったと語っています。的を射た人物評といっていいでしょう。

5歳年上の土方歳三

渋沢栄一とともに任務にあたった土方歳三

大沢源次郎の捕縛にあたっては、近藤の指示で副長土方歳三が4人の隊士を率いて現場にのぞみました。新選組も慶応2年ともなれば、本来なら近藤や土方というトップが捕り物に向かうことはありませんでしたが、陸軍奉行からの依頼ということで異例の対応をしたのでしょう。

「近藤の次にいた土方歳三というのが、なかなか相当の人物で、それが警護に立つということになってーー」

土方と初対面した渋沢は、こう語り、さらに大沢が寓居にしている紫野の大徳寺に向かう道々、彼らはこんな会話もかわしています。

「おみうけしたところではまだお若い。おいくつになられますかな」
「当年、二十七歳にあいなります」
「さらば、拙者とはだいぶお下じゃ」

土方は32歳でしたから、それほど離れているという感じではありませんが、当時の感覚では5歳の差はけっこう大きかったようです。もっとも土方は実年齢よりも若く見える美男だったので、はたからみれば二人は同年輩に見えたかもしれません。

さて、大沢を捕縛するにあたっては、渋沢と新選組との間で意見に相違があったといいます。まず渋沢が陸軍奉行の申し渡しを述べてから大沢を捕縛するか、新選組が大沢を捕縛してから渋沢が申し渡しをするかということです。

「新選組の人々の主張するところは、われわれは大沢逮捕のために来たのであるが、実は渋沢の護衛も一つの役目である。その渋沢にもし万一間違いでもあっては、われわれが護衛に来たかいなく、また単に護衛の意味を失うばかりでなく、新選組の名折れにもなる。だから万全の策として、まずわれわれがただちに大沢を縛り上げるから、その上で正式の申し渡しをされたいというのである」

渋沢としては、作法どおりに自分がまず申し渡しをしたい、しかし新選組側ではそれは危険だからまず捕縛をしようと主張し、なかなか意見がまとまらなかったのです。結局、土方が渋沢の意見のほうが正しいと認め、無事に大沢を捕縛することができました。

運命の分かれ道

新選組について、渋沢はこうも語っています。

「そのとき私を護衛してきた新選組の連中と口論して、まことに腹も立ったが、あるいは命を失うことになりはしないかという気がした。当時の新選組といったらそれこそ飛ぶ鳥も落とすほどの暴威をふるったもので、子供など泣くと「新選組が来るゾ」とよく口にしたものである」

まるで鬼か、なまはげのようないわれようですが、それほど当時の新選組は世間的に恐ろしい集団と思われていたということでしょう。

大沢源次郎捕縛一件のあと、ほどなくして渋沢は幕府から新たな役目を与えられます。パリで開かれる万国博覧会に日本使節団の一員として選ばれ、代表の徳川昭武に随行して渡仏することになったのです。

日本を出発したのは慶応3年(1867)1月ですから、前年10月に大沢一件があった直後のことになります。新選組との交流もそれほど深いものにはならなかったことでしょう。渋沢自身は、近藤とは京都で二度会ったと語り残しています。

そして、パリ万博が終わったあともヨーロッパ各地を歴訪する昭武に付き添って行動し、渋沢が帰国したのは約2年後の明治元年(1868)11月のことでした。なんと留守中に徳川幕府は瓦解し、元号までも明治と変わっていたのです。

変わり果てた故国の姿を見て、渋沢は呆然とするばかりだったでしょう。渋沢栄一と新選組……彼らのその後を決定したのは、運命という分かれ道だったでしょうか。

 

「世界一よくわかる新選組」(著:山村竜也/祥伝社)


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