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【一代の女傑:広岡浅子】ドラマにもなった明治の女性実業家の生涯

「連続テレビ小説 あさが来た」より ©NHK

歴史上には女傑と呼ばれる女性がいますが、実業家の広岡浅子もその一人でしょう。彼女はNHKの連続テレビ小説『あさが来た』のヒロインのモデルにもなった人物で、近代日本の女性実業家のさきがけとしても知られています。
女子教育が珍しかった当時の日本で、浅子はどのように実業家として生き抜いたのでしょうか?
今回は、浅子のうまれから結婚までの経緯、実業家としての活躍、また浅子の人物像がわかるエピソードなどについてご紹介します。

うまれから加島屋に嫁ぐまで

実業家として花開いた浅子は、どのような幼少期を過ごしたのでしょうか。
うまれから結婚までの道のりを振り返ります。

三井家でお嬢様として育てられる

「連続テレビ小説 あさが来た」より ©NHK

浅子は、嘉永2年(1849)豪商・三井家の一つである出水三井家(後の小石川三井家)の6代目当主・高益の四女として誕生しました。
2歳のころにはすでに大坂の豪商・加島屋に嫁ぐことが決まっており、彼女はそのために朝から晩まで裁縫や茶の湯、生け花、琴、三味線などの教養を身に着けさせられました。
お嬢様として育てられた浅子でしたが、本心ではこのような稽古事は好きではなく、丁稚との相撲や木登りなど体を動かすことが好きだったようです。また、四書五経の素読など学問にも強い興味を抱いていました。

豪商・加島屋の立て直しに奔走

17歳になった浅子は、予定通り加島屋の第8代当主・広岡久右衛門正饒(まさあつ)の次男・広岡信五郎と結婚。しかし嫁ぎ先の加島屋は実家の三井家と違い、業務を手代任せにして主人はのんびりしていました。これを見て、何かあった際は自分がなんとかしなければと危機感を覚えた浅子は、独学で簿記や算術などを学び始めます。
そして3年後、明治維新の動乱で傾いた加島屋を立て直すべく、奔走することになったのです。

女性実業家として開花した浅子

浅子は加島屋の立て直しのために新たな事業に身を投じました。彼女は実業家としてどのような功績を残したのでしょうか?

炭鉱経営にのりだす

炭鉱都市・筑豊炭田の周辺にあった炭鉱労働者用の炭鉱住宅です。

浅子は明治17年(1884)ころから炭鉱事業に参画し、筑豊の潤野炭鉱を買収して開発に着手しました。この炭鉱ビジネスへの参入により、浅子は実業家として一躍有名になります。
彼女が炭鉱業をはじめたのは、これからの日本には米よりも石炭が必要だと考えたからでした。石炭の重要性とその商売の将来性を読み取った浅子は、まさに先見の明があったといえるでしょう。

「加島銀行」の発足

銀行経営の夢をもっていた浅子は、明治21年(1888)「加島銀行」を発足します。大阪土佐堀に本店をおく加島銀行は、東京、京都、兵庫、岡山、広島にも支店を置き、やがて有力銀行として成長していきました。設立の発起人は夫の広岡信五郎とされましたが、実質上の経営を担っていたのは浅子だったようです。

「大同生命」創業への参画

浅子は明治35年(1902)大同生命創業に参画し、生命保険事業にも携わりました。銀行業や生命保険業を手がける加島屋は、金融企業として大阪の有力財閥に発展します。これらの活躍により浅子は、鈴木よね、峰島喜代子らとともに明治の有名女性実業家として名を連ねるようになったのです。

女子教育に情熱を注ぎ尽力する

「連続テレビ小説 あさが来た」より ©NHK

さまざまな事業を手がけ加島屋を財閥にまで成長させた浅子ですが、彼女は女子教育にも熱心でした。その取り組みについて2つご紹介します。

日本女子大学校設立

浅子に大きな影響を与えた成瀬仁蔵。

明治34年(1901)日本女子大学校(現在の日本女子大学)が設立されました。浅子はこの学校の発起人の一人として創立当初の評議員になりましたが、これには梅花女学校の校長・成瀬仁蔵が深く関係していました。
遡ること5年前、梅子は成瀬の著書『女子教育』を読んでその内容に深く共感します。そして、金銭の寄付以外にも政財界の有力者に協力をあおぎ、三井家から目白台の土地を寄付させるなど、多大な援助をしたのです。

合宿勉強会を主宰

日本女子大学校を設立した後も、浅子の女子教育に対する情熱は続きました。大正3年(1914)から死の前年まで、毎年別荘で若い女性を集めて合宿勉強会を主宰。参加者には、のちに婦人参政権運動を主導した市川房枝や、『赤毛のアン』などの翻訳で知られる村岡花子らがいました。
晩年は女子教育に力を注いだ浅子でしたが、大正8年(1919)腎臓炎により東京の別邸で死去。普段口にしていることが遺言だからと特別遺言を残さず、この世を去りました。

豪気で聡明!浅子の人物像とは?

実業家として、女傑という言葉にふさわしい生き方をした浅子。その豪気で聡明な人物像がわかるエピソードを2つご紹介します。

ピストルをしのばせて炭鉱へ……

石炭ビジネスを始めたとき、浅子は荒くれ者の多い炭鉱夫たちを監督して自ら抗内に出入りしていました。その際、護身用のピストルを懐に隠しながら坑夫らと寝食を共にしたといわれています。男性でもためらうような事業に自ら乗り出したため狂人扱いされたといわれますが、このような胆力が数々の功績を作り出したといえるでしょう。

読書禁止に不満を抱いていた!

幼少期の浅子は学問に興味を持っていましたが、商家の慣習や女性であるという理由から固く読書を禁じられていました。しかし浅子は、なぜ女性は男性のすることをしてはいけないのか、男女で能力や度胸に格別な違いはないと考え、不満を抱えていたのです。この不満がのちに原動力となったのは言うまでもありません。彼女が女子教育に情熱を注いだのも、そのような想いがあったからでしょう。

明治を代表する実業家の一人

女性実業家としてさまざまな事業に乗り出し、女子教育にも力を注いだ浅子。彼女は次々と大事業を手がけ、明治時代の代表的な女性実業家として君臨しました。また彼女が情熱を注いだ女子教育は、のちに名を知られるようになる女性実業家を多数輩出しています。その並外れた度胸や優れた行動力は、現代の女性にも勇気を与える部分があるかもしれません。彼女の創設した事業や女子大は、現代でも大きな役割を果たしています。


「連続テレビ小説 あさが来た」
放送日:2020年2月5日(水)放送スタート 月-金 朝8:15~ 2話連続
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/feature/asagakita/


 

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