長州藩の高杉晋作は、徳川幕府打倒に多大な功績がありましたが、明治維新を目前にして病に倒れ、新時代を見ることなく没しました。まだ29歳の若さでした。
高杉には、政(まさ)という本妻のほかに、芸者出身の愛妾うのがおり、最期を看取ったのはこのうのであったといいます。うのの目に映った革命児高杉の最期とはどのようなものだったでしょうか。
高杉の死後、梅処尼と称して菩提をとむらった、うのの貴重な語り残しをご紹介します。
当時は不治の病とされた肺結核
高杉は、慶応2年(1866)6月に開戦した第二次長州征伐による幕長戦争で長州海軍の指揮官として戦い、幕府軍を見事に撃退しました。しかし戦争の最中に肺結核(労咳)を発症し、勝利後に床につくことになります。
10月、下関郊外の桜山に東行庵と名付けた家を建て、そこで療養しましたが、慶応3年(1867)に入ると病状は悪化しました。そのため2月、市街地である下関新地の林算九郎方の離れに療養場所を移します。
この林家では、高杉と親交があった歌人の野村望東尼が、うのとともに泊まりこんで高杉の世話をしました。「尼さん(望東尼)も一緒に私ども三人が棲まうことになりました」と、うのは語っています(「東行庵梅処尼今昔物語」より。以下も同じ)。
3人での生活はそれなりに楽しい日々でもありましたが、高杉の病状はやがて身に見えて悪化し、医者からは肺結核であることが告知されました。
「もう一生直る見込みのない肺(肺病)という恐ろしい病におかかりなさいました。そうと初めて聞きました折りの私の胸のうち、一時ぼうと致しまして、何ごとも手につかなかったのでございます」
肺結核は当時は不治の病であり、新選組の沖田総司なども同じ病気で没しています。病名を告げられたうのは、さぞつらいことであったでしょう。
それでも医者から、栄養のあるものを摂り、運動することが大事と勧められると、高杉自身も小型の馬に乗って近隣を散歩するようにしました。ところが、そうすると知人に会うことも多く、相手の家に招き入れられて酒をすすめられるのです。
たいていの病気にとって酒は体に悪いものですが、肺結核の場合は特に禁物でした。
「お酒をあがればあがるほど病気のためによろしくないのでございます。それで、とうとうお医者様から禁酒を命ぜられまして、いかに強い高杉も、これだけには降参しなければならぬと、旦那は大笑いなされましたが、私はなんだか胸がつまりました」
医者のいうことなど聞きそうもない高杉が、殊勝に聞き入れているところを見ると、自分でも病状が進んでいることを自覚していたのでしょう。大の酒好きの高杉が酒を完全に断つのはあまりにかわいそうと思ったうのは、医者の許可をとってぶどう酒を少量ずつ毎日飲ませることにしたといいます。
革命児高杉晋作の最期
そのころ、かつて高杉に大いに世話になったという僧の桧龍眼(ひのき・りゅうげん)が訪ねてきて、高杉の看病に加わりました。女性2人で看病してきた苦労が少しは軽減されたと、うのは回想しています。
しかし4月14日、すでに寝たきりになっていた高杉が、その日は急に起き出して僧の龍眼を呼びました。
「龍眼、龍眼、お、そこにおるか。龍眼よ、俺は今から山口の政事堂に行くからお供をせい、そして駕籠を雇うて来よ、との仰せ。龍眼さんは、委細かしこまりましたとおっしゃいましてーー」
高杉のいうとおりに駕籠を呼び、室内まで引き込みました。高杉は「うむ駕籠か」とよろこび、自分を乗せてくれるよう頼みます。駕籠かきと龍眼が3人がかりで高杉の体を持ち上げ、静かに駕籠に乗せました。するとーー。
「旦那は小躍りして手を叩かれ、おい龍眼、お前は一足先に大坂屋(料亭)に行って、酒肴を命じておけ。そこで愉快に出で立ちをして、それから政事堂に乗り込もう、とおっしゃいます。龍眼さんは、ハイ、ハイと聞かれまして、駕籠屋の耳に口を寄せ、何か小声でお話しなさいますと、やがて駕籠かきどもは駕籠をかつぎ上げ、二、三度くるくると静かに座敷の内を回りますと、旦那は高い声で、アアもうよしよし、これで安心した、とどっかり床へお休みなさる」
いつの間にか、政事堂に行くことも料亭に寄ることもどうでもよくなっていて、ちょっと駕籠に乗っただけで満足する高杉でした。そんな高杉の様子を見て、うのは悲しくなり涙をこぼします。
再び床についた高杉は、「山縣狂介(有朋)はまだ来んか」と顔だけ上げて尋ねました。山縣は高杉にとっては松下村塾の後輩で、このころ奇兵隊軍監として力のあった人物です。これには、龍眼が枕近くに寄り、答えました。
「山縣さんは、今日はちょうど吉田村で、湯玉の石川のお嬢さんと、婚礼をなさる日だということをお話しなさいますと、アハ・・・そうであったか。よく言っといてくれ、と高らかにお笑い遊ばし、そのまま寝入るがごとくあの世へ・・・三人は泣きくずおれました」
これが高杉の最期の様子でした。看取ったのは、うの、野村望東尼、桧龍眼の三人だったことになります。
うのはその後、出家して梅処尼と称し、清水山に葬られた高杉の墓守りとなりました。明治17年(1884)には、山縣や伊藤博文らが寄付をして、清水山の麓に改めて東行庵が創建されます。うのこと梅処尼はその住職となり、高杉の菩提を終生とむらい続けたのです。
幕末の長州藩を力強く牽引し、明治維新をたぐり寄せた高杉晋作ーー。新時代が到来する前夜に逝った、短くも激しい29年の生涯でした。
「世界一よくわかる幕末維新」(著:山村竜也/祥伝社)
NHK大河ドラマ「西郷どん」「龍馬伝」の時代考証家が、ペリー来航から西南戦争終結まで、政治的にも複雑な幕末維新期をわかりやすく紹介。幕末初心者はもちろん、学び直しにもぴったりの一冊。
Amazonで購入【風雲!幕末維新伝】連載一覧
第1回「坂本龍馬暗殺の犯人はこの男だ」
第2回「勝海舟は江戸無血開城をどうやって成功させたのか?」
第3回「坂本龍馬・寺田屋遭難事件の真実を探る!」
第4回「新選組・山南敬助の脱走の謎を解く!」
第5回「“新選組が誕生した日”は何月何日なのか?」
第6回「革命児 高杉晋作が詠んだ幻の辞世!」
第7回「伊庭八郎、箱根山崎の戦いで左腕を失う!」
第8回「新選組、新発見史料が語る池田屋事件の真実!」
第9回「勝海舟が学んだ長崎海軍伝習所とは何か?」
第10回「西郷隆盛の銅像の真実を探る!」
第11回「高杉晋作が坂本龍馬に贈ったピストルとは!」
第12回「新選組の制服羽織の実際を探る!」
第13回「坂本龍馬は勝海舟を本当に斬ろうとしたのか?」
第14回「渋沢栄一と新選組の知られざる交流とは!」
第15回「岩崎弥太郎の見た坂本龍馬と海援隊!」
第16回「幕府遊撃隊長・人見勝太郎 炎の生涯!」
第17回「新選組美少年隊士の謎を解く!」
第18回「幕末に流行した新型伝染病コレラの脅威!」
第19回「高杉晋作が見せた長州男児の肝っ玉とは?」
第20回「薩長同盟は坂本龍馬によって実現したのか?」
第21回「劇団ひとりに受け継がれた土佐二十三士の魂!」
第22回「新選組、局中法度の実際を探る!」
第23回「新選組隊士に求められた唯一の条件とは?」
第24回「近藤勇や土方歳三はいつ農民から武士になったのか?」
第25回「坂本龍馬が進化させた大政奉還論とは?」
第26回「映画『燃えよ剣』にみる新選組(前編)」
第27回「映画『燃えよ剣』にみる新選組(後編)」
第28回「NHK正月時代劇「幕末相棒伝」の完成記念座談会が開催!」