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【歴史上で一番の“暴君”って誰なの?】歴史に名を残す暴君 三選!

聖徳太子からの手紙に大激怒!隋 第2代皇帝・煬帝

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ドラマ『隋唐演義 集いし46人の英雄と滅びゆく帝国』より ©浙江永楽影視制作有限公司

中国はその長い歴史のなかで恐怖政治や皇帝の独裁を敷いた王朝が多く、秦の始皇帝や明の朱元璋など、暴君の例に事欠きません。

そんな中から、今回は隋の第2代皇帝・煬帝(ようだい)をピックアップ。
聖徳太子の『日出ずる処の天子~』という手紙を持ってきた遣隋使・小野妹子にブチ切れたことでも有名なあの人です。

倹約家の孝行息子を装いながら皇位継承を目論んでいた楊広(=煬帝)は、派手好きで正妻以外の女を求めた皇太子の兄が両親から嫌われていると知るや、兄を陥れて失脚させ、自ら皇太子の座につきます。604年、父・楊堅の死を受けて皇帝となった煬帝ですが、実際には父を殺害していたという説があります。

即位後の煬帝はもうやりたい放題。私生活では女色におぼれ贅沢の限りを尽くし、朝廷に刃向う者に対しては見せしめとして残虐な刑罰を与えました。

極めつけは、100万人の民衆を動員して行った華北と江南を結ぶ大運河の建設です。女性までも動員した急工事だったうえに、開通のデモンストレーションとして自ら龍舟に乗って行幸を行ったことで民から大きな反発を受けました。

その後も三度の高句麗遠征や度重なる大事業により、国内で反乱が頻発。最後は、近臣の宇文化及ら近衛兵達に殺されてしまいます。

ちなみに、煬帝とは隋の後に統一王朝となった唐が付けた諡号(貴人や高徳の人に死後おくる名)で、「煬」には「天に逆らい、民を虐げる」という意味があります。世界広しといえども、名前自体が“暴君”を表しているのは煬帝くらいでしょう。


<ピックアップ!オススメドラマ>
『隋唐演義 集いし46人の英雄と滅びゆく帝国』
総製作費30億円超。中国全土を巻き込んだ壮絶な戦いを、美男美女の豪華キャスト陣で描いた歴史超大作。中国史上最悪の皇帝と言われた隋の二代目皇帝・煬帝(ようだい)を打倒するため、義で結ばれた46人の英雄たちが起ち上がる。

©浙江永楽影視制作有限公司

民を苦しめた暴君たち。しかし一方では・・・

ここまで3人の暴君エピソードを紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

こいつら悪いやつだな~という感想を持った方が多いと思いますが、一方で彼らの残した功績をたたえる見方も存在しています。

例えば、煬帝の大運河建設。「狂気の偉業」とも呼ばれるように歴史的意義は非常に大きく、結果的に中国の経済と文化の発展に大きく貢献しました。歴代の王朝によって整備されながら、現在も京杭大運河という名で重要な役割を担っています。

見方を変えたり、ちょっと深く調べてみると、様々な発見があるのが歴史の面白さですよね。

みなさんもこの機会に、気になる歴史上の人物を調べてみるのはいかがでしょうか?
新しい発見があるかもしれませんよ!

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