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老朽化に負けるな! 増上寺の二天門と徳川将軍家の墓【哲舟の歴史よもやま取材ルポ その8】

東京タワーのすぐ下に建つ増上寺。約600年前に創建され、江戸時代からは徳川将軍家の菩提寺として今に伝わる寺院だ(東京都港区芝公園)。
ご存じだろうか? この中には、徳川将軍家の墓所があることを。02

これまで将軍家の墓所は1年のうち、限られた日数だけしか公開されていなかったが、2015年4月からは連日、一般公開となった(火曜休み)。ここには、徳川15代将軍のうち2代・秀忠、6代・家宣、7代・家継、9代・家重、12代・家慶、14代・家茂の6人の将軍のほか、秀忠夫人の江(ごう=崇源院)、家茂夫人の和宮ほか、合葬の形で夫人たちも葬られている。

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この増上寺の将軍家墓所は、わりと有名になってきているので、今日は普通の方が素通りしがちな増上寺周辺の見どころを載せよう。増上寺の三門を出て、東京プリンスホテルのほうへ向かうと、古びた壮麗な門(二天門)が見えてくる。これこそ、7代将軍・徳川家継の霊廟の正門だったものだ。

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実は、今でこそ増上寺内の一角に「将軍家墓所」としてひとまとめになっているが、昭和の初めまでは増上寺の敷地は今よりもずっと広く、将軍たちの墓はその中に、こうしてひとつひとつ独立して建っていた。

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それはそれは、立派な霊廟が建っており、それぞれの内部に宝塔が収められ、この下に亡骸が収められていたのである。しかし、1945年(昭和20年)の東京大空襲により、ほとんどが焼失してしまった。米軍の爆撃で日本の江戸文化の粋を極めた建築物が、無情にも消え去ったのである。かろうじて焼け残ったのが、先の家継の二天門というわけだ。

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二天門よりも少し北へ行って交差点を左へ曲がると、これまた古びた、いくらか簡素な造りの門が建っている。これが「御成門」(おなりもん)だ。都営三田線の駅名として認識している人もおられようが、その名前はこの門に由来するのである。江戸時代には将軍家の墓所の裏門として使われ、主に将軍が墓所に参詣するときに通った。

御成門とは将軍様が通るから、「将軍さまのおなり~!」といったような意味である。本来の場所とは少し場所をずらして移築されており、当時はもう少し北、現在の御成門交差点付近に建っていた。

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もう一度、さっきの二天門をよく見てみよう。ボロボロになってはいるが、真ん中には葵の御紋が燦然と輝いている。長年風雨にさらされながら、堂々とした姿である。これが本来の姿なのかもしれないが、ここまで老朽化しているのを見ると、野ざらしにせずきちんとした保存の仕方を考えて欲しいとも思う。

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立派な仁王像も健在である。7代・家継は歴代の中で一番短命で、わずか8歳で世を去った将軍だ。この門を見ていると、霊廟がどれだけ壮麗だったかが、わずかに窺えよう。世が世であれば、この門に近づくことさえ許されなかったはずである。

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これが現在の家継の墓。昭和30年ごろ、このあたりは旧コクド(西武グループ)に買収され、増上寺は規模を大幅に縮小され、荒れ放題になっていた徳川家の霊廟は掘り起こされ、その後にプリンスホテルなどが建った。将軍たちの遺体は発掘調査が行われたあと、丁寧に火葬されて埋葬し直された。冒頭のように本堂裏へ、ひとまとめに移されたのだ。

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天下の徳川将軍も、今はこうして身を寄せ合い静かに眠っている。冒頭で書いた通り、一般公開されているので、興味のある方は訪ねてみてほしい。今まで限定公開だったのが完全オープンになったのは少々残念な気もするが、公共に近い史跡でもあるので、沢山の方が参拝できるようになったことは喜ぶべきことかもしれない。最近は見物するだけの人も増えているようだが、訪問の際は「お墓」であることを忘れず、そっと手を合わせてもらいたい。そう願うばかりだ。

ちなみに、上記6名の他の将軍たちは、日光東照宮や上野の寛永寺、谷中霊園など別の場所に葬られている。機会があればそれらについても記してみたい。

■増上寺 徳川将軍家墓所~徳川家霊廟~
http://www.zojoji.or.jp/keidai/tokugawagrave.html

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