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なんでもありの戦国時代、合戦ルールってあったの!?

なんでもありの戦国時代、合戦ルールってあったの!?

歴人マガジン編集部では、みなさんに喜んでもらえるいろいろな歴史ネタの収集を、日々絶賛強化中。
掲載依頼もたくさんいただいておりまして、本当にありがとうございます。

ショートコラム「戦国武将というお仕事、やりたいですか?」もおかげさまで多くの方に読んでいただけたようで嬉しい限り。

そこで今日も「下克上や裏切り、なんでもアリの戦国時代の合戦にルールはあったのか?」という素朴な疑問を調べてみました。

そもそも合戦はなんのためにやるのか?

戦国時代の日本はまさに無政府状態。
一応足利将軍の室町幕府が残っていたものの、応仁の乱以降、実質的な政権運営能力はなく、領地をどれだけもち、財力を蓄えることで多くの兵を養った大名が天下にもっとも近いわけです。

そこで自分の領地となったところに政策を施し、国を富ませます。
また領地が飢饉などになった場合のために、領地があればあるだけほしいというのが本音。
その他名目や理由は多々あるでしょうが、今も昔も結局戦争とはそういうものなのでしょう。

縁起をかつぐためのしきたり「出陣式」

さて、いくさが決まったとなれば今度はその準備。
大規模な合戦の場合は、行軍のために必要な兵士や武器を調達しなくてはなりません。
また、軍師が出陣の日取りをきめ、必勝祈願のために神社などで祝詞(のりと)を詠んだりして準備するそうです。

3回に分けて食べ、酒を飲み、最後は盃を割って出陣!引用:伊勢志摩 兵吉屋

3回に分けて食べ、酒を飲み、最後は盃を割って出陣!引用:伊勢志摩 兵吉屋

そして出陣式。一同が介して、出陣式を執り行います。
この時に「一に打ち鮑(あわび)、二に勝栗、三に昆布」の順に食べて縁起を担ぎます。「敵に打ち、勝ち、よろこぶ!!」なんだとか。
そしていよいよ「エイエイオー」と鬨(かちどき)をあげ、出陣!!

その時点ではすでにいろいろなルートから相手側もその旨を知るわけで、そこから両軍が同様に準備し、出陣をして行軍を開始、そこで合戦と相成るわけです。

私の疑問としてなぜ敵同士しめし合わせたように合戦場に集結するのか、というものがあったのですが、大名同士のような大きな合戦では、おのずから行軍するルートは大きな道と決まってくるので、攻める方と迎え撃つ方が自然と決まるのだとか。

また、灯りも松明しかない時代、夜襲はそれほどなく、やはり日の出から日没までが合戦の時間。各地陣地に戻って翌日の戦いに備えたそうです。

いよいよいくさのはじまりじゃ!!え?最初は悪口から?

 

迫力の信州真田鉄砲隊。

信州真田鉄砲隊。引用:「上田真田まつり」より

 

いくつか調べたなかで、布陣した両軍が最初にやるのはやはり「鬨(かちどき)」をあげ戦意を鼓舞。それは分かるのですが、その後はなんと「悪口合戦」だそうです。なんていうんだろう。
「バーカバーカ」とか「お前の母さんデーベソ」とかじゃないと思うんですが・・・

ま、とにかく互いを罵倒し、さらに戦意を高め、いよいよ両軍が激突!
これは野戦といって、関ヶ原のように城を出て戦う場合ですが、最初は矢や鉄砲部隊による打ち合いのすえ、槍隊が進軍、その後白兵戦へ。

怖いって!!可児才蔵が敵兵を倒すの図。引用:関ヶ原ウォーランド

怖いって!!可児才蔵が敵兵を倒すの図。引用:関ヶ原ウォーランド

この白兵戦についても、大抵はドラマのような感じではなく、最後は取っ組み合いになって脇差でトドメを刺す、というのが一般的だそうです。怖いですね〜。

しかし戦国時代の場合、足軽などは領地の百姓などがほとんど。
命をかけて戦う前に逃げ出してしまうことも多く、そう考えると、大将を失った兵がバラバラになるあの光景、分かりますね。

なので、武将は「軍規」を定めており、合戦中に逃げたり、略奪や味方同士のケンカをした兵士などを軍目付け(軍監ともいう)がチェックして、合戦後に罰したりしたそう。怖いですね〜。

プレゼンテーション2

楊洲周延 1883_豊公四国征伐図, 長曽我部信親 加藤清正

また、敵の大名としても領地を取っても、その領民がいなければ運営が成り立たないので、最後まで殲滅、皆殺しにするというのはほとんどなかったとか。

途中で有利な方が降伏、またはいくさの終了勧告を行い、受け入れて終了となることが多かったそうです。

そして強者どもが夢のあと・・・

ようやくいくさが終わりました。あたり一面死体がゴロゴロ、落ち武者狩りといって、敗残兵を探して甲冑や刀を取り上げて殺害するというのもドラマや漫画で観たことがあります。

通販サイトで人気だって。

なんかイラっとする「落ち武者」ヅラ。通販サイトで人気。

捕まって磔(はりつけ)の刑に処せられたり、当然敵方の領地で敗残兵になったときは、農民による落武者狩りも頻繁にあったことでしょう。怖いですね〜。

武将同士では、勝ったほうが再び鬨をあげ、敗残の将は切腹か、負けた証に出家剃髪することが多いとか。また首実検といって、相手の将の首を確認する儀式も。

首実検のようす。怖すぎやろ!引用:関ヶ原ウォーランド

首実検のようす。怖すぎやろ!引用:関ヶ原ウォーランド

そして最後に、前述の軍目付けの記録により、武功をたてた人をチェックして、主君による「論功行賞」が行われます。

命をかけて戦った武将たちの一番の関心事はこれ。
いわば命の代償として、分捕った敵の領地を主君から与えられ、そこの領主として統治していきながら、大きくなっていくわけですね。

とまあ、合戦のはじまりから終わりを調べてみましたが、戦国時代はこんな合戦が全国いたるところで繰り広げられていたんですよね。
それで、思っていたよりもルールは存在していたんだな、とも分かりました。
武将はともかく、その領地に住むほとんどの農民や商人などは、常にいくさの犠牲になってきたわけです。

そう考えると、戦国大名たちの力を思い切り削ぎ落とし、統治することで戦国の世を終わらせた徳川家康公、やはりスゴイ。

さて、みなさん、今日の「合戦のルール」はいかがでしたでしょうか。
合戦、調べていくうちにリアリティが湧いてきました。こうして調べてみるとホント、怖いですね〜(4回め)。

甲冑武者は大好きですが、やっぱりワタクシは平和な世の中がいい!と改めて思った次第でありました。
またこのショートコラムシリーズ、折を見てお送りします。
よかったらぜひ応援してやってくださいね。

編集長Y

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