歴史ファンなら必見の大河ドラマ。
現在放送中の「真田丸」も大人気ですが、2017年放送予定の「おんな城主 直虎」に早くも注目が集まっています。
そう、タイトルを見てお分かりの通り、主役の「井伊直虎」は男の名前で井伊家の家督を継いだ「女性武将」なのです。かの有名な幕末の大老・井伊直弼の先祖でもある直虎。彼女が生きた激動の生涯とはどんなものだったのでしょうか?一足先に予習しておきましょう。
井伊家当主の娘として生まれて
井伊直虎。とても勇ましい名前で、いったいどんな男前だろうと思いきや、実はれっきとした女性です。彼女がこの名を名乗るまでには、実に波乱万丈の人生がありました。本名が不明なので、ここでは「直虎」として文中呼ばせていただきますね。
現在の静岡県浜松市、遠江の井伊家22代当主・井伊直盛の一人娘として直虎は生まれました。直盛には男子が生まれなかったため、従弟の直親を婿養子に迎えることになっていました。
ところが、直親の父・直満が今川氏への謀反を疑われ自害させられてしまいます。直親は領地から脱出し、行方をくらませてしまいました。
許婚の死を確信した直虎は悲嘆に暮れ、出家し「次郎法師」と名乗ります。しかし、直虎の両親などは直親が生きていることを知っていました。が、彼に危害が及ぶことを恐れ、極秘としていたのです。それを娘にも言うことができなかったのです・・・。
生きていた許婚、そして井伊家最大の危機
信濃に隠れていた直親が帰還したのは、逃亡から11年後のことでした。直虎の胸中はいかばかりだったでしょう。なんと彼の隣にはすでに信濃で迎えた正室がいたのです。
失意の直虎を、ここから悲劇が襲います。永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川方に従軍していた父が戦死します。そして2年後、直親までもが徳川家康に内通したとの讒言によって殺されてしまうのです。続けざまに曾祖父の直平も急死し(毒殺という噂も)、その後の合戦では多くの重臣を失ってしまいました。井伊家に残されたのは、僧侶の直虎と直親の遺児・虎松だけでした。
井伊家最大の危機。これに際して採られた策は、直虎を還俗させて女地頭(領主)とし、虎松の後見を務めさせるというものでした。直虎はこの時はじめて「井伊直虎」となったのです。
女地頭としての直虎、続く苦難
直虎が力を発揮したのは、合戦よりも内政でした。当時は不作により農民が困窮にあえぎ、一揆の要因になり得たために今川氏は借金帳消しの徳政令を発します。これには井伊家を潰す意図もあったとされ、徳政令を出せば井伊家の経済基盤が揺らぎ、出さねば今川と領民を怒らせるという、どちらに転んでもダメージの大きなものでした。
直虎は徳政令を先延ばしにし、まず商人を保護して金の流れを保障し、井伊家の経済を保障します。それから方々への根回しをし、ダメージを最小限にする手筈を整えてから徳政令を出しました。このことは後世でも高く評価されています。
ただこの後、かねてから不穏な動きをしていた家臣・小野道好の裏切りにより、直虎らは城を追われてしまいます。残された家臣たちは密かに徳川に通じて支援を仰ぎ、再び直虎は復帰します。武田信玄の進攻により、またも城を明け渡さねばならない事態にもなりますが、信玄の死をきっかけに完全に城を取り戻しました。
もう一つの直虎の仕事は、直親の遺児・虎松を立派に養育することでした。かつての許婚の息子を養母となり育てた直虎は、虎松を徳川家康に出仕させることに成功します。一説には、鷹狩りの時に引き合わせたとも言われています。
長じた虎松は直政と名乗り、後に徳川四天王に名を連ね、その勇猛さをもって「井伊の赤鬼」と恐れられるほどの武将となったのです。
成長した直政の行く末に安堵したか、天正10(1582)年に直虎は亡くなりました。菩提寺の龍潭寺にある彼女の墓は、許婚の直親の隣に並んでいます。
女性だったため歴代当主に名を連ねることはありませんでしたが、井伊家最大の危機を乗り越えた手腕は後世に語られるべきことですね。
ちなみに直虎を演じるのは柴咲コウさん。凛々しい姿が似合いそうで、どんな直虎像になるか期待大ですね。
(xiao)
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