百人一首など平安末期の歌人として有名な西行こと佐藤義清(さとう のりきよ)。名家に生まれた義清は、若いころから和歌や武芸に優れており、鳥羽上皇の警護を担うエリート武士集団・北面の武士の一人にも選ばれていました。
2012年の大河ドラマ『平清盛』でも、主人公・平清盛との友情や、待賢門院璋子とのロマンスなど、藤木直人さんの名演技が華やかに彩っていましたね。なかでも、劇中で和歌を詠むシーンが印象的でした。
そんな西行の生涯と、彼の詠んだ和歌のなかから3首を厳選し、その歌意をご紹介します。
名門の武士として生まれるも若くして出家
関東で活躍した武将・藤原秀郷の子孫として生まれた佐藤義清。代々衛府に仕えた家柄で、前述の通り鳥羽上皇の親衛隊である北面の武士も兼ねていましたが、23歳の若さで突如出家。その理由は失恋や、友の死など諸説あるようです。
出家後は全国を放浪しながら多くの和歌を詠み、後世に大きな影響を与えています。松尾芭蕉や、幕末に活躍した高杉晋作も西行を尊敬していたのだとか。
旅の途上でも有力者との親交は続いたらしく、讃岐に流された崇徳上皇の元を訪ねたり、晩年は鎌倉で源頼朝と面会したりしています。
大河ドラマでも取り上げられたあの歌の意味は?
西行が出家する時に詠んだとされる歌がこちら。
「身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ」
大河ドラマ『平清盛』では、藤木直人さん演じる佐藤義清が朗々と詠み上げる名シーンです。
歌意は色々な説がありますが、およそこんな感じ。
「出家して身を捨てた人は、本当に人生を捨てたのでしょうか。いえ、俗世のしがらみに囚われた己を捨てられない人こそ、己の人生を捨てているのです」
義清の出家への並々ならぬ決意が伝わってくるかのようです。
ちなみにこの歌は、勅撰集である『詩花和歌集』に収録。ですが、作者は「よみ人しらず」になっています。勅撰集の作者は身分の高い人だけが記録され、当時北面の武士に過ぎなかった佐藤義清は対象外でした。
出家後も多くの歌が勅撰集に収録されますが、そちらは西行法師として作者名を記録されています。世を捨てて初めて名を残す西行の功績は、この歌をなぞるかのようです。もし出家せずに武士のままであれば、歌人西行の名前は残っていなかったかも知れません。
西行を代表する百人一首の歌
歌人としての西行は、学校の授業でも取り上げられる超有名歌人。百人一首にもその歌が収録されています。
「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」
意味は「嘆けと言って月が私を物思いに耽らせるのだろうか。いや、本当はそうではないのに月のせいだとかこつけてこぼれる私の涙よ」というところでしょうか。
「月前の恋」をテーマに詠んだ恋歌なので、涙の正体は愛しい人を思う心だったのでしょう。ただこの恋歌の根底にあるのは、出家してなお人の世を愛し続けた西行の孤独感ではないか・・・とも言われています。
歌に願ったとおり桜の季節に亡くなる
西行は文治6(1190)年2月16日、73歳で息を引き取りましたが、生前こんな歌を残しています。
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
その意味は「願うことなら、旧暦2月15日の満月の頃、満開の桜の下で死のう」という歌です。現在で言う3月中旬以降の満月の日にあたり、ちょうど桜が花盛りを迎える時期です。自ら望んだ日のわずか1日遅れで死んだ西行に、当時の人々は驚嘆したと伝わっています。
桜を見ながら西行の歌をご堪能あれ
若くして世を捨てながら本当の自分をつかみ生涯を遂げた西行。その情熱の断片は多くの歌が今に伝えています。
なかでも桜の歌人といわれるほど、西行は桜の歌を残しています。この春は、桜を愛でながら彼が残した数々の作品を堪能してみてはいかがでしょうか。
(Sati)
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