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曹操も飲んでいた?!三国志の名医が広めた、お屠蘇(とそ)の始まり【キュレーター:哲舟】

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哲舟の「偉人は食から作られる!」 VOL.4
曹操も飲んでいた?!

三国志の名医が広めた、お屠蘇(とそ)の始まり

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正月は不思議と、「朝や昼から酒を飲んでもいい」という風潮がある。「正月の酒は縁起がよくて、身体にいい」と思ってしまう雰囲気もある。実際はそんなことは全くないのに、一体なぜなのだろうか?

 

理由は、お神酒(みき)や、お屠蘇(とそ)の影響かと思う。特にお屠蘇だ。これは単に「正月に飲む酒のこと」とお思いの人も多いようだが、もともと中国から来た風習で、薬草の粉末を酒に混ぜて「薬」として飲んだことが始まり。

 

屠蘇には、悪鬼を屠(ほふ)り、魂を蘇生(そせい)させるという意味がある。

 

そして酒に混ぜる薬草の粉末のことを屠蘇散(とそさん)というが、これを世界で初めて考案した人物とされるのが、中国の正史(歴史書)『三国志』に登場する華佗(かだ)という医者だ。

 

華佗は、東洋で初めて麻酔を使って外科手術をしたり、五禽戯(ごきんぎ)という動物の動きをとりいれた気功法・体操を編み出したりと、医療界では「神医」として崇められる人物である。

 

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その華佗が、曹操(そうそう)に招かれ侍医をつとめていたときに出したのが、屠蘇であった。赤朮(せきじゅつ)、蜀椒(さんしょう)、桔梗(ききょう)、防風(ぼうふう)などの粉末を酒に混ぜて処方した。

 

曹操は酒の漢詩や造り方を書き残しているように酒好きだったから、酒に混ぜて飲ませるのは効果的だったに違いない。

 

屠蘇は胃腸を壮健にし、風邪の予防に効果があるといわれている。正月はご馳走を食べ過ぎたり、寒くて風邪を引きやすかったりするので理にかなった処方でもあったのだ。

 

だが、「赤壁の戦い」が行なわれた西暦208年、華佗は曹操の怒りを買って処刑され、残念ながら彼の医学や療法は伝わることなく歴史の闇に消えてしまった。

 

しかし、屠蘇の風習は口伝えに残ったのか、それから100年ほど後の晋の時代をはじめ、隋(ずい)や唐(とう)の時代の歴史書にも屠蘇酒の記録が確認できる。

 

「屠蘇酒は、華佗の処方なり。はじめ曹武帝(曹操)に授け、世に広まる。元旦に飲めば病気など一切の不正の気を除く。屠蘇散を除夜(大みそか)から井戸に吊るしておき、元旦に取り出して酒の中に置き、煎じて沸かし・・・」(晋(しん)の時代に書かれた医学書『小品方』より)

 

これが平安時代の日本にも伝わったようで、紀貫之(きのつらゆき)の「土佐日記」にも屠蘇の記録が見える。

 

そして江戸時代には医者が薬代のお返しに屠蘇散を配るようになり、庶民の間でも広まった。今も薬局などで配られることがあるのはこの名残りだ。

 

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「一人飲めば一家病なく、一家で飲めば一里病なし」と言われ、かつては中国でも日本でも、正月の祝いの膳には欠かせないものだった。

 

現代では、酒に薬草の粉末を混ぜるという本来の屠蘇を口にする人は少なく、単に酒だけを飲む人が多いようだ。しかし、まだ新年も始まったばかり。今まで口にしたことさえなかったという方も、三国志の時代に思いを馳せ、飲んでみるのも一興かと思う。
(哲舟=歴史コラムニスト)

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(写真説明)
2枚目:治療中の華佗(かだ)を模した像。右は関羽。(荊州の病院にて。筆者撮影)

3枚目:現在の屠蘇散。便利なティーパック式のものもある

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上永哲矢(うえなが てつや)
通称:哲舟。歴史コラムニスト、フリーライター。『時空旅人』『歴史人』などの雑誌・ムックに、歴史や旅の記事・コラムを連載。三国志のほか、戦国時代や幕末など日本史を得意分野とする。『三国志フェス』などイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。

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