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カレーと武士の出会い その1 幕末日本に初めて「カレー」の名を紹介した福澤諭吉   哲舟の「偉人は食から作られる!」 VOL.15

ラーメンと並ぶ日本の国民食、カレーライス。それは、インドというよりイギリスから伝わった欧風料理がもとになっている。

まず、その歴史から簡単に説明しよう。16世紀のはじめ(1500年代)、西洋人はインドを植民地支配し、初めて「カレー」なる料理を目にした。その後、18世紀になってイギリスはインドを実効支配し、本国へカレーを伝える。

 

実はインドには「カレー」(カリー)という料理はない。インド料理は材料や調理法によって、それぞれ違う名前があるのだが、イギリス人がインドの煮込み料理を総称して「カレー」と名付け、本国に伝えたのだ。

 

その語源は不明だが、タミール語で「ソース」を意味するカリ(Kari)から転じたという説や、おいしいという意味の「クーリー」という言葉が転じたという説が有力。

 

このとき、同時にガラムマサラなどの香辛料(スパイス)が伝わり、「カレー粉」として開発されることになった。1774年、イギリスで書かれた『明解簡易料理法』には、カレーのレシピがある。

 

「みじん切りにしたタマネギ、ぶつ切りにした鶏肉をバターで炒め、ターメリック、ジンジャー、ペッパー、クリーム、レモン汁を入れて煮る」というもので、このようにカレーはイギリスへ広まり、欧風料理として発展した。

 

そして、19世紀の幕末日本へ舞台は移る。あの「桜田門外の変」が起きた万延元年(1860年)、江戸幕府は咸臨丸(かんりんまる)をアメリカへ派遣した。
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福澤諭吉(ふくざわゆきち)豊前(現在の大分県中津市)出身の武士。一万円札の肖像に使われている人としてあまりにも有名。

 

この「幕府遣米使節」の中には勝海舟のほか、豊前中津藩士の福澤諭吉がいた。諭吉はこの年、26歳。海舟より一回り年下だった。

 

4ヵ月後、アメリカから帰国した諭吉は初めての著書、『増訂華英通語』(ぞうてい・かえいつうご)を出版する。

 

これは、いわゆる和英辞典。サンフランシスコで購入した中国人向けの英語辞典を和訳し、日本語の漢字とカタカナを入れたものだ。

 

この中に「Curry」という単語があるが、福澤は「コルリ」とフリガナを付けた。しかも食べ物ではなく、「焼く」「煮る」「蒸す」といった調理法のページに分類されている。当時、アメリカにもカレーの現物は伝わっておらず、料理として認識されていなかったのかもしれない。

 

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福澤諭吉が出版した『増訂華英通語』(1860年)。左上の「コルリ」が、カレーのこと。横に「ロースト」(焼く)という言葉も見える。

 

この旅において、初めてビールを飲み「苦いが妙なり」と喜んだ、さすがの福澤諭吉も「Curry」という言葉ばかりは、どんなものか分からず困惑したに違いない。意訳が書かれていないことがそれを物語っている。

 

そして、この辞書を読んだ多くの日本人も頭に「?」のマークが浮かんだことだろう。なにしろ日本人が自分の意志で初めて海外へ渡った直後のことなのだ。

 

しかし、幕末という時代の流れは早い。その3年後、同じ日本の武士が実物のカレーを「目撃」することとなる。(次回へつづく)

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tesshu

上永哲矢(うえなが てつや) 通称:哲舟。歴史コラムニスト、フリーライター。

『時空旅人』『歴史人』などの雑誌・ムックに、歴史や旅の記事・コラムを連載。

三国志のほか、日本の戦国時代や幕末などを得意分野とする。

イベント・講演にも出演多数。神奈川県横浜市出身。

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