2018年3月にチャンネル銀河で日本初放送する歴史ドラマ「フアナ~狂乱のスペイン女王~」。スペイン王国を築きあげたカスティーリャ女王イサベルとアラゴン王フェルナンドとの間に生まれ、歴史上「狂女」として知られるフアナを描いた同作品をより楽しむために、スペイン史著述家である西川和子氏に彼女の生涯について解説してもらいました。
イサベル女王の娘に生まれて
3番目の子として生まれたフアナは、イサベル女王自慢の娘でした。王家の娘に必要な、地理、歴史、聖書、紋章学、系譜学などをよく学び、音楽、舞踏に才能があり、さらにラテン語が堪能で、他国の高位の修道女たちと自由に会話ができたのです。また、信仰心の深さも母譲りでした。
5人の子どもたちがお年頃になってくると、策略家の父フェルナンド王は、最大の敵である憎きフランスを囲うようにポルトガル、フランドル、そしてイングランドの王子や王女と次々結婚させていったのです。
「貴女は、ブルゴーニュ公国のフェリペ(フィリップ)美公様と結婚するため、フランドルに向かいます。フェリペ様の妹御のマルガレーテ王女は、フアン兄様と結婚するためにスペインにいらっしゃるのよ」
フェリペ兄妹の母マリは早くに亡くなり、公国を継いだフェリペは国の宝物でした。そのうえ、気品あるお洒落な様子から、ただの王子ではなく美公と呼ばれ、自信に溢れた都会的若者に育っていたのです。
フェリペ美公との出会い
一途な性格のフアナは、結婚の話を聞いたときから、まだ見ぬフェリペへの恋心が芽生えてしまったのです。16歳の夏、武装輸送船団と多くの臣下たちに守られ、途中嵐に遭いながら2か月かけてフランドルに到着しますが、フェリペは父マクシミリアン1世の代理で議会を主催していたため、不在でした。フアナ到着を知ったフェリペは議会をさっさと終わらせ、7日後、異国の王女に早く会いたい一心で早馬で戻ってきたのです。
互いに待たねばならなかった分、その出会いは衝撃的でした。2人は一目で恋に落ち、形式など無視してその日のうちに結婚をしたのです。フアナにとってフェリペは人生のすべてとなりましたが、フェリペ美公は異国的なフアナに一旦は激しく恋したものの、持ち前の飽きっぽさが頭をもたげてくるのでした。
気がつくと、フェリペは何も変わっていないのに、フアナは信仰心も優雅な振る舞いも、冷静な頭の良さもすべて失っていたのです。夫フェリペだけを追っている日々になってしまっていたのでした。
思いがけなく王位継承者に
スペイン宮廷から兄フアン王子が死去したという知らせが届きました。フェリペ美公の妹マルガレーテと結婚したフアン王子は、これまたマルガレーテに夢中になりすぎ、病弱だった身体は新婚の暮らしに耐えられなかったのです。マルガレーテのお腹には赤ん坊がいたのですが、ショックから死産します。
次ぎの王位継承者はポルトガル王妃となっている姉イサベルに移りますが、王子ミゲルの出産で死去し、ミゲル王子も2歳の誕生日直前に病死してしまいます。
こんな番狂わせの連続から、王位継承はフアナの頭上にきました。ただ、すでに良くない評判も、病気がちのイサベル女王の耳に届いていたのです。フアナ様は以前の信仰心を忘れミサにも出られない、夫の浮気のことで頭の中は一杯になっている、スペインからの使者もフアナ様に会えない、フアナ様はしばしば鍵のかかった部屋に閉じ込められている、などでした。父フェルナンドが反フランス派だったのに対し、フェリペ美公が親フランス派だったのも、難しい問題だったのです。しかし、2人の間に子どもは順調に生まれていました。
「夫は眠っているだけ」、フアナ伝説と葬式行列
問題を抱えながらも、イサベル女王の死により、2人は王位の宣言をします。イサベル女王の遺言は、「王位はフアナに。フアナが統治不能のときは、フアナの長男カルロスが成人するまでは夫フェルナンドが摂政として統治する」というものでしたが、多くの貴族は、フェルナンドよりもフェリペを選択したのです。若い外国人が王になる方が自分たちの自由がきく、と判断したためでした。
王としてスペインに入って半年後、フェリペ美公は「球技遊びの後、冷たい水を大量に飲み、その日のうちに高熱を発し、2週間後に死去」してしまいました。フアナはそれまでの諍いや嫉妬に狂った日も忘れてひたすら看病したといいます。そして、フアナは気付いたのです。
「夫は眠っているだけ。だから誰も近づいてはだめよ」
遺骸を柩に移し、松明を灯し、貴族や女官や兵士たちをともない、夜な夜なカスティーリャの野を彷徨し始めたのです。たまに柩を開けて、フェリペの遺骸をなで抱擁し、キスをしたといいます。王家の紋章をつけた不気味な葬列は続き、「フアナ女王は狂っておられる。まるで狂女王だ」という噂が広まったのでした。
実の父によりトルデシーリャスに幽閉
フェリペ美公に敗れてアラゴンに戻っていたフェルナンドの出番が来ました。フランドルで成長しているカルロス王子はまだ10歳にも届いていないからです。父フェルナンドと娘フアナは、久しぶりに対面しました。そして父は、「娘は国を統治できる状態にない」と判断したのです。「イサベルの遺言どおり、摂政として私が再び統治する」という言葉に、誰も反対できませんでした。
フアナは正常なときもありました。しかし、精神状態が低迷し、「食べない、眠らない、着替えない、洗わない」という状態のときもあったのです。そんな状態のとき、フェルナンドはカスティーリャ貴族との会見を開き、フアナ女王の様子を見せたのです。フアナの姿を目の当たりにして、「真の王はフアナ様である」とフェルナンドの統治に反対していた貴族たちも「これでは到底無理だ」と諦めました。
バリャドリッドの近く、トルデシーリャスの宮殿がフアナの新しい住まいとなりました。フェリペ美公が死んでから生まれた娘カタリーナとともに、女官たちと接するだけの幽閉生活が始まりました。ここで、世の中の情勢や政治と無関係に、その後の46年間をひっそりと生きたのです。とはいえ、息子カルロスがしばしば訪れていたことや、孫のフェリペ2世も妃とともに訪れたことが知られており、彼女の悲しい晩年も少しだけ救われる気がします。
晩年は幽閉されていたフアナでしたが、退位することなく正式なスペイン国王でした。文書には、息子カルロス1世の名前と並べて、「我、女王」と署名をし続けていたのです。
スペイン史著述家。著書に『スペイン宮廷画物語』『狂女王フアナ』『スペイン フェリペ二世の生涯』『宮廷人 ベラスケス物語』『スペイン レコンキスタ時代の王たち』などがある。
スペイン歴史ドラマ「フアナ~狂乱のスペイン女王~」
放送日:2018年3月1日(木)2日(金)深夜1:00~ ※全2話(前編/後編)
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/feature/juana/
関連記事:
【スペイン女王の生涯とは?】歴史の中の「イサベル女王」
【旅から旅へ】ヨーロッパを駆け巡った偉大なる皇帝カルロス1世(カール5世)
コメント