第15回「岩崎弥太郎の見た坂本龍馬と海援隊!」【歴史作家・山村竜也の「 風雲!幕末維新伝 」】

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幕末維新の志士や事件の知られざる真実に迫る連載「風雲!幕末維新伝」。第15回のテーマは「岩崎弥太郎の見た坂本龍馬と海援隊」です。

自給自足の海援隊

海援隊のメンバー。左から3番目が坂本龍馬。

土佐脱藩の坂本龍馬は、慶応3年(1867)2月に脱藩罪を許され、4月には土佐藩付属の浪士結社・海援隊の隊長に任じられました。
海援隊の前身は亀山社中といい、薩摩藩の庇護のもと、諸藩との商取引や外国との貿易、船舶による海運業をおこないながら、いざというときには軍艦で戦争にも加わる画期的な集団でした。

その隊長の坂本龍馬が、土佐藩から脱藩を許されたことで、亀山社中も同時に土佐藩の支配下に入ることになり、名称も海援隊と改められたのです。
海援隊は、海運による自給自足を掲げていて、藩からは特に給料のようなものは出ないことになっていました。土佐藩大監察の佐々木高行もそう語り残しています。

「海援隊はもともと脱藩生の集合隊である。我が藩ばかりではなく、他藩人もまじっている。したがって藩からは別に手当はない」(「佐々木老侯昔日談」)

しかし、亀山社中のころは月額3両2分という固定給が薩摩藩から出ていたので、彼らの待遇は今回悪化してしまったことになります。3両2分は、現在の価値に換算すると、おおよそ35万円。多くはありませんが、決して少なくない給料を彼らは毎月得ていたのでした。

そこで龍馬は、海運による利益が出るまでの間は、土佐藩に援助してもらうことを考えます。幸い「海援隊約規」に、固定給はないが必要であれば隊長から申し出よという文言があったので、長崎に滞在中の参政後藤象二郎に無心を願い出ました。

もともと龍馬に甘いところのあった後藤は、願い出どおりに金を出すことを承知します。龍馬という人は交渉にたけているというか、持ち前の人なつっこさで相手にオーケーを出させてしまうところがあり、いわゆる得な人柄であったようです。

海援隊の月給は50万円

そのころ長崎には、後藤象二郎によって土佐商会が設立され、藩の物産を売りさばいたり、軍艦、武器などを買い入れるための拠点となっていました。この土佐商会の責任者である岩崎弥太郎を後藤は呼び出し、こう伝えました。

「才谷(龍馬の変名)と社中合わせて16人、1人あたり月5両をくれといっている。今日、船出するということなので、とりあえず100両を才谷に渡してやってくれ」(「岩崎弥太郎日記」)

龍馬はいつの間にか亀山社中のころよりも金額を増して、1人あたり5両を要求したようです。5両ならば、現在でいうと50万円。けっこういい金額になります。
ただ、5両を16人分ならば計算すると80両なので、100両というのはやや多めの金額になっています。やはり後藤は、龍馬に甘かったようです。

弥太郎は、海援隊の給料を土佐商会から出すことに納得していなかったようですが、ひとまず後藤のいうとおりに100両を用意して、龍馬の宿に運ばせました。
すると、すぐに龍馬から手紙が届き、そこにはこう書かれてありました。

「100両は隊士に渡した。ところで隊長である自分の給金はどうなっているのか」(同日記)

龍馬も含めた16人分で100両(本当は80両)だったはずですから、弥太郎は驚きました。あわてて後藤に相談すると、さすがの後藤も、それ以上は出す必要はないという返事でした。
弥太郎は安心して、そのように龍馬に回答しましたが、龍馬からは再び手紙が届きます。

「このたびの大坂行きは余儀なき事情によるものだから、ぜひにでも50両借用させてもらいたい」(同日記)

「借用」と表現が変わってはいるものの、おそらくはいったん渡せば返ってくることはないでしょう。
弥太郎は頭を抱えましたが、龍馬の強引さに負け、結局自腹を切る形で50両を出すことにしました。自腹といっても弥太郎にはそれだけの金がないので、土佐商会の公金を弥太郎自身が借用した扱いにしたのでした。

龍馬と弥太郎の初対面

後に三菱財閥の創業者となった岩崎弥太郎

50両の現金を用意した弥太郎は、今度は部下にまかせるのではなく、みずから龍馬の宿に出向いて金を届けることにしました。龍馬という男がいったいどのような人物であるのか、自分の目で確かめようとしたのでしょう。

ちなみにNHK大河ドラマ「龍馬伝」では、龍馬と弥太郎は幼なじみという設定になっていましたが、実際にはそうではありません。二人が会ったのは、このとき、すなわち慶応3年4月19日が初めてでした。

それでは「龍馬伝」は作り話なのかという声もあがりそうですが、あれは、岩崎弥太郎の目を通した坂本龍馬を描くというコンセプトのもとに作られた作品です。そのため二人は幼なじみである必要があり、その部分に関してはフィクションにせざるをえませんでした。

「龍馬伝」の時代考証をつとめた私としては、そういう作品であることをご理解いただいた上で、龍馬と弥太郎の交差しあう二つの生涯を味わい、楽しんでいただきたいと思うのです。

閑話休題。龍馬の宿に着き、弥太郎が初めて対面した龍馬は、一見無愛想な男でした。弥太郎も恐い顔で有名ですが、龍馬も黙っている分にはけっこう恐い顔つきです。仕方なく、弥太郎はふところから用意の50両を出して、要求どおりに金を持参したことを伝えました。

すると龍馬の表情は一変し、満面の笑みを浮かべてよろこんだのでした。弥太郎の日記には、「才谷喜悦」と書かれています。金を手に入れてこれほどあからさまに喜ぶ武士というのも珍しく、どうやらこの男は普通の武士とは違く、むしろ自分に似たタイプの人間だと弥太郎は察知したことでしょう。

龍馬はすぐに酒と肴を用意し、金を出してくれた弥太郎を歓待しました。二人は酒を酌み交わしながら、世間の人物論や時勢論に花を咲かせ、気づけばいつの間にか黄昏時になっていました。
そのころには弥太郎が抱いていた龍馬に対するわだかまりも消え失せ、すっかり打ち解けた間柄になっていたのでした。この日以降、弥太郎と龍馬は長崎の地で親交を深めることになります。

維新後、大坂土佐商会の後身である九十九商会を譲り受け、三菱商会、三菱蒸汽船会社に発展させた岩崎弥太郎――。のちの三菱財閥の基礎を作った才覚は、長崎における龍馬との交遊によって一層磨かれたことでしょう。

 

「世界一よくわかる坂本龍馬」(著:山村竜也/祥伝社)


幕末維新の英雄としてあまりにも有名な坂本龍馬。しかし、これまでは過度に美化されてきたところも。NHK大河ドラマ「西郷どん」「龍馬伝」の時代考証家が史料を読み込み、人間・龍馬の真の姿を解き明かす。

 

 



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