【真似るな、危険!】江戸時代ブームになった三大心中とは?

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享保8年(1723)2月20日、江戸幕府は情死に厳しい規制を設けました。それほど心中事件が続発した時期だったのです。そのきっかけとなったのは、のちに三大心中と呼ばれる3つの心中事件でした。歌舞伎や文楽で今も上演されるテーマですが、いったいどんな事件だったのでしょうか。

一陽斎豊国「霜釖曽根崎心中 天満屋おはつ・平野屋徳兵衛」
(国立国会図書館蔵)

ブームの先駆け「曽根崎心中」

元禄16年(1703)に起きた曽根崎心中とは、大坂堂島新地の女郎・はつと、大坂内本町の醤油商平野屋の手代・徳兵衛が西成郡曽根崎村の露天神の森で心中した事件です。

露天神社境内にある徳兵衛とはつの銅像。

事件から約1カ月後には、これを題材とした近松門左衛門の脚本による人形浄瑠璃が上演されて一気に注目を集めました。「未来成仏疑ひなき恋の手本となりにけり」という最終段の文句のインパクトもあり、これ以降「心中物」ブームが到来することとなったのです。ただ、「曽根崎心中」自体は数回で上演禁止となり、復活したのは戦後になってからでした。

リアル心中ブームが到来!?「心中天網島」

享保5年(1720)、大坂天満の紙屋治兵衛と女郎の小春が心中するという事件が起きました。これを近松門左衛門が取り上げ、人形浄瑠璃「心中天網島」という演目で公演を行ったところまたもや大ヒット。この後、リアルな心中事件が続発することとなってしまったのでした。

売れっ子脚本家・近松門左衛門(実は武士の子)。

これには幕府も辟易し、享保8年(1723)2月20日に心中物の上演と脚本の執筆・発行を禁じるお触れを出しました。また、ひとりだけ生き残ったら殺人罪、2人共生き残った場合は晒し者とした上に市民権を剥奪、心中遺体は親族に渡さずに葬儀さえも禁止するという厳しい処分を行ったのです。
幕府が心中を規制したのには、心中が幕府批判につながるという考えがあったとも言います。幕府が治めるこの世を嫌い、あの世への望みを抱いて死ぬということは、つまり幕府批判であるという考えだったようですよ。

マンガもあります!
里中満智子著
『マンガ日本の古典 心中天網島』
(中央公論新社)

それでも、心中事件は後を絶ちませんでした。「死んで来世で結ばれる」という「心中物」の物語によって、心中自体が人々の間で美化されていた上、当時の社会情勢も関係していました。飢饉の続発や物価高騰、それに伴う打ちこわしの多発など、人々の心は疲れ荒み切っていたのです。

旗本と遊女が心中!?「箕輪心中」

天明5年(1785)、ついに武士が心中事件を起こしてしまいました。しかも、4000石取りの旗本が、です。
藤枝教行(ふじえだのりなり)は、吉原の遊女・綾絹と深い仲になっていました。ところが、綾絹を商人が身請けするとも、彼自身が吉原に入り浸っていたことを幕府に知られ甲府へ飛ばされるともいう話になり、いずれにせよもう会えなくなると悲観し、藤枝は勝手に綾絹を吉原から連れ出してしまったのです。しかし追っ手に迫られ、2人は心中して果てたのでした。

藤枝家は死んだのが教行ではなく家人ということにして隠そうとしたのですが、あっさりと幕府にバレてしまい、教行の妻・みつとその母は謹慎処分となり、藤枝家は改易となってしまいました。みつはまだ19歳。死んだ綾絹もまた19歳でした(ちなみに教行は27歳)。旗本の心中事件ということで、一大スキャンダルとなってしまったのです。
のちにこの事件を題材にして、小説家・岡本綺堂が著したものが「箕輪心中」です。

『箕輪心中』を著した岡本綺堂。

何事も、ブームが来ればそれに続く人たちがいるわけですが…心中ブームというのは穏やかではありませんよね。マネしちゃいけないブームもあるということ、心に刻みたいものです。

(xiao)

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