【第三次安倍内閣発足に思う】日本で唯一総理大臣を5回努めた巨人「吉田茂」の戦略

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第三次安倍内閣が発足、新たに動き出しました。

思えば第一次は就任約1年間で体調不良を理由に突然辞任、これが7年前。そして2年前に復活したのが第二次。さらに先日行われた解散総選挙により第三次となっており、約3年間、1,000日ほどの在任期間となります。
小泉純一郎氏が1980日(歴代5位)、中曽根氏が1806日(同6位)と、池田勇人氏が1575日(同7位)岸信介氏が1241日(同9位)と、戦後で長期政権を担当した首相の他にも、本当に多くの方が首相を務めてきました。

そんな中、第二次世界大戦直後の最も過酷な日本の国をしょって立ちながら、就任期間のべ2616日(同4位)と、5位の小泉氏をさらに2年近くも上回った上に、唯一5回も首相の任命を受けた「昭和の巨人」が吉田茂氏です。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、吉田氏は92代内閣総理大臣で、現安倍内閣では副首相 麻生太郎氏の祖父にあたります。
吉田氏は高知の自由民権運動の祖 板垣退助の部下である竹内綱の5男として東京に生まれ、その後横浜の貿易商 吉田健三氏の養子に。
その後学校を点々としながら外務省に入省、外交官として活躍。
第二次世界大戦前は駐英大使として日英親善を強く主張したが受け入れられず、開戦後も終戦のために奔走するも、それが軍部にバレてしまい投獄されるという経験もされています。

終戦後は打って変わって連合国側の信頼を勝ち得て1946年に初めて内閣総理大臣に任命されてから、1948〜1954年に至るまで5回も首相として、よくも悪くも強いリーダーシップを発揮、日本を引っ張っていきました。最も大きな仕事としては、1951年のサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約の締結。
これで一応太平洋戦争の「みそぎ」を済ませたとされる条約ですが、この時の日米安保が、現在でも日本の政治に大きな影響を与え続けているのも事実ですね。

サンフランシスコ講和条約調印。

サンフランシスコ講和条約調印。

この吉田首相の半生を、なんと今やハリウッドスターである渡辺謙さんが演じたNHK制作のドラマ負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~」全5話を、チャンネル銀河で大晦日の昼12:30〜夜20:00まで、一挙に放送するそうです。

この「負けて、勝つ」というサブタイトルを見ると、敗戦国として何をされても文句は言えないという状況のなか、どこまで日本の主権を守れるのか、という目的のために奔走した彼の苦悩が伺えます。
吉田氏を演じる渡辺謙さんがまたよく特徴を掴んでいて、似ていると思いませんか?

負けて、勝つ_02 のコピー

ちなみにこの番組の後20:00からは、同じく渡辺さんが、開戦前夜の上海で暗躍する、冷徹な日本軍人を演じる映画「シャンハイ」も同日放送するとのこと、これも興味あります。

連合軍占領下で無力化した日本の終戦直後。
戦犯を裁く東京裁判などもあり、皆が殺気立っていた頃の話ですから、本当に激動の時代には彼のような豪腕のリーダーシップが求められていたのも事実なのだと思います。

安倍内閣が「国民の信を得た」とこれから進めていく日本の舵取りを、吉田氏はどう見ているのでしょうか。
終戦から70年を迎える来年に向けて、過去の歴史に学ぶことの重要性を日々感じています。
チャンネル銀河をご覧に慣れる方は、「負けて、勝つ」と名付けられた彼の半生をご覧になってみていただければと思います。
(副編集長Y)
参照
負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~」チャンネル銀河
歴代内閣総理大臣の在任期間ランキング」 

写真(C)NHK

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