今度の日曜日10日は「母の日」。
日頃がんばっているお母さんにカーネーションや手紙やプレゼントなど感謝を送る、という素晴らしい日ですよね。
記念日ってそれこそたくさんありますが、この母の日はとても意義のある記念日だと個人的には思います。
でもそもそもなんで「カーネーション」だったんだっけ??? という疑問が湧いてきました。
まさかホワイトデーみたいに、商業的につくられたっていう話なんだろうか?? そんなのイヤじゃ〜〜〜〜。
ということで、今日はちょっと変わった記念日企画「母の日」の歴史について調べてみました。
きっかけは母娘の大きな愛から。
「母の日」は、南北戦争のさなかである1870年、敵味方を問わずに負傷兵の衛生改善に尽力したアン・ジャービスという女性の死後、娘のアンナが亡き母の命日(1907年5月12日)に、生前母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会を開催。
参列者に母の愛した白いカーネーションを配ったのが、現在日本で広まっている母の日の始まりだったそうです。
また、カーネーションには「十字架に架けられるキリストを見送った聖母マリアがこぼした涙が落ちた地面に咲いた」という伝説があり、古くから母性愛の象徴とされていたことも「母の日にカーネーションを贈る」習慣につながっているとも言われています。
その後、カーネーションの色の意味合いが「存命する母がいれば赤、亡くなっていれば白」とされるようになったそうです。
なるほど・・・きっかけがこんな美しい話からきていたなんて知らなかった。
アメリカ南北戦争
南北戦争が起こったのは、1861年〜1865年。
アメリカ国内での奴隷制の廃止や貿易に伴う政策の違いにより、北部と南部の戦いで、合計246万人、実に50万人を超える戦死者を出した戦いです。
結果、リンカーン大統領をトップとする北部が勝利し、奴隷解放宣言が行われたわけです。
「人民の 人民による 人民のための政治」という、世界史に残る名演説をした「ゲッティスバーグ宣言」が有名ですよね。
しかし、リンカーン大統領は戦争終了と同時の1865年、ある者に暗殺されてしまいます。
現代史では多民族でありながら「一つの国」というかたちを取っているアメリカ合衆国も、たった160年ほど前に国中を巻き込んでの戦争をしてきた。
日本も幕末の騒乱期だったことを考えるとまさにこの時代、世界中が争っていたのですね。
その中で負傷兵を「南北問わず助けよう」という素晴らしい女性がアメリカにいたことが「母の日」のきっかけだと知り、母性とはなんと素晴らしいことか、と感慨深いです。
母の愛は強し・・・
ということで、そもそも考えれば、いま生きている私たちの命は、全てお母さんがこの世に生み出してくれたからこその命。
日頃から感謝することのほうが、記念日にするよりはよいかと思います。
でも、この日ばかりはちょっとばかり照れくさい演出でも許されるし、それこそお母さん、喜ぶと思います。
「お母さん知ってる?母の日の由来ってこういうことらしいよ」とか言いながら、感謝の気持ちを贈ってみてくれたら嬉しいなあ(笑)
副編集長Y
参照元:
「母の日」wikipedia
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