クリスマスが近づくと、心がうきうきしてきますよね。しかし日本はもともと仏教や神道の国。キリスト教の行事であるクリスマスという文化は、どうやって日本に入ってきたのでしょうか。偉人たちの意外なクリスマスの楽しみ方とともに、日本でのクリスマス発祥の事情をご紹介します。
日本でクリスマスが始まったきっかけ
日本にクリスマスがもたらされたのは、キリスト教が伝来したこと、つまりフランシスコ・ザビエルの来日がきっかけでした。
天文19(1549)年、来日したザビエルは周防国(山口県)での布教の許可を得ました。そして、ザビエルの後を継いで布教活動を行った宣教師・コスメ・デ・トーレスらが日本人の信者を招いて降誕祭のミサを行ったのが、日本初のクリスマスとなったのです。
しかしキリスト教はやがて禁じられ、クリスマスのイベントは表舞台から姿を消してしまいます。
とはいえ、長崎の出島は例外でした。オランダ商人たちは江戸幕府に配慮して、クリスマスを「オランダ正月」という名に変えて祝っていました。時期も正月にずらしていたそうです。そこに日本の役人たちを招き、西洋料理でもてなしていたそうですよ。
やがて明治時代がやってくると禁教令が解除され、ここから徐々に一般にクリスマスが広まっていくこととなるのです。
偉人たちとクリスマス その① 松永久秀
信長に仕えながら何度も裏切り、その果てに壮絶な爆死を遂げた戦国武将・松永久秀。戦国初期の梟雄として有名です。
そんな彼が、クリスマスを口実に休戦したという逸話が残されています。当時の敵・三好三人衆もしくは織田信長と戦っていた際、クリスマスがかぶったために休戦を申し込んだというものです。
フロイスの「日本史」に書かれたことは、両軍のキリシタン兵が同じミサに行ってパーティーをしたという話で、クリスマス休戦はもちろん、当事者が松永久秀なのか信長なのか、そこのところははっきりしていません。とはいえ、彼らの名が挙がると「さもありなん」と思ってしまいます。
偉人たちとクリスマス その② 勝海舟
明治時代になるとキリスト教の信仰が自由となりましたし、多くの外国人も日本にやって来ました。
そんな折、お雇い外国人として来日したホイットニー一家が開催したクリスマスパーティーには、勝海舟や福澤諭吉が出席し、プレゼント交換をしたといいます。
実は、勝の三男・梶梅太郎はこのパーティーでホイットニー家の娘・クララと知り合い、やがて国際結婚することになったんですよ。そのクララが、勝がパーティーに来たと書き残しているんです。
偉人とクリスマス その③ 正岡子規
「ベースボール」から「野球」という言葉を生み出した正岡子規は、それ以外にも外国文化に興味を持っていたようです。「クリスマス」を季語として初めて俳句を詠んだのが彼なんですよ。
「八人の 子供むつまし クリスマス」
「クリスマス 小さき会堂の あはれなる」
など、クリスマスに関する句を幾つも残しています。
日本初のサンタクロースは殿様スタイル!?
明治時代、原胤昭というクリスチャンの実業家・浮世商がいました。彼は洗礼をほどこしてくれた宣教師である妻の学校で、初めてのクリスマス祭を明治9(1876)年に開いたのです。
しかしここに現れたサンタクロース、裃を着用しちょんまげ姿で刀を持ったまさに殿様スタイルでやって来たそうです。これが日本初のサンタクロースなんですって。
ちなみに、1900年に書かれたサンタクロースの話では、『三太九郎』という日本名だったそうです。
キリスト教の行事でありながら、クリスマスは私たち日本人にとって欠かせないイベントになっています。ある意味日本人の柔軟性のおかげかと思いますが、ぜひクリスマスには、こうした逸話をちょっと披露してみてはいかがでしょうか。
(xiao)
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