歴人マガジン

【室町時代に存在した?】新横浜ラーメン博物館で学ぶラーメンの歴史

【室町時代に存在した?】新横浜ラーメン博物館で学ぶラーメンの歴史

日本で初めてラーメンを食べたとされる歴史上の人物といえば、水戸黄門こと徳川光圀公が有名ですよね。しかし先日、そのラーメンのルーツとなる中国の麺料理が室町時代に食べられていたとの発見が話題を呼びました。

ラーメンのルーツは中国にあり、日本が開港してからは世界各国の食文化が日本に流入、中国の麺料理と日本の食文化が融合して誕生したのが「ラーメン」とされています。

そこで今回は、ラーメンの歴史を探りに、新横浜ラーメン博物館(神奈川県横浜市、以下ラー博)へ潜入取材。新発見された「室町時代の中華麺」とラーメンの歴史についてお話を伺ってきました。改めてラーメンの歴史を学んでみましょう!

ラーメン博物館でラーメンの歴史を学ぼう

ラー博館内の展示ギャラリーは7月にリニューアルされたばかり。室町時代から現在に至るまでのラーメンの歴史を様々な文献をもとに解明しており、いかにして中国の麺料理がラーメンに変容していくかがわかりやすく展示されています。

新横浜ラーメン博物館
水戸光圀公が食べたラーメンはどんなものだった?

まずは皆さんご存じの、水戸黄門こと水戸光圀公が食べたとされるラーメンについて振り返ってみましょう。
儒学に興味のあった光圀公は、長崎に滞在していた朱舜水を水戸に招き、歓迎の席で手製の「うどん」を作ってもてなしました。その御礼として朱舜水がふるまった中国式の麺料理を、光圀公自ら真似して作り、家臣にふるまったそうです。

光圀公が食べたとされるラーメンを再現したもの

水戸黄門が食べたとされるラーメンは、厳密には中国の麺料理であり、今のラーメンとはかなり違ったようです。麺にレンコンのでんぷんが使われ、スープは豚肉の塩漬けを乾燥熟成させたハムからダシを取り、具材は「五辛」と呼ばれる山椒・葉ニンニク・黄ニラの若芽・白カラシ・香菜の5種類の薬味が使われたのではと推測されています。

この光圀公のエピソードが1665年前後のこと。
ではその約200年前、今回新発見となった「室町時代に食べられていた中華麺」とはどのようなものだったのでしょうか。

水戸黄門より200年も前!室町時代に食べられた日本で最初の「中華麺」とは

ラー博いわく、中華麺の定義とは「かん水」を使っていること。
「かん水」とはアルカリ塩水溶液のことで、小麦粉に混ぜるとしなやかさやコシが出て、発色がよくなるのだそうです。
この「中華麺」が室町時代に食べられていたという記述を、株式会社イナサワ商店の会長・稲澤敏行氏が発見し、今回の発表となりました。

1485年に記された中華麺「経帯麺」とは?

裏付けとなる本は「蔭凉軒日録」「居家必要事類」の二つ。

将軍・足利義満が創建した相国寺(京都市上京区)。その鹿苑院内にあった寮舎・蔭凉軒に住んでいた僧侶が記録した「蔭凉軒日録」には、1485年5月17日 中国書籍「居家必要事類」文中のお酒・麵食部(水滑麵・経帯麺等)を調べ、その3年後の1488年2月1日及び5月16日に経帯麺を来客に振舞ったと書かれています。
現存する資料の中では、この「経帯麺」が日本で最初の中華麺と考えられます。

「居家必要事類」は、中国の元王朝末期(1300年代半ば)頃に書かれたと言われる、衣食住にまつわる百科事典のようなもの。中国に渡った日本人が持ち帰ったのではとみられています。そこに書かれた「経帯麺」の現代訳レシピとともに、再現された「経帯麺」を見てみましょう。

「居家必要事類」に書かれている経帯麺のレシピ
レシピをもとに再現された「経帯麺」


レシピによると、材料は下記の通り。
・最上小麦粉(紛質の細かくて白い良質の小麦)2斤
・碱(炭酸ソーダ)1両
・塩2両


小麦粉と碱(炭酸ソーダ)を細かに研って新しく汲んだ水でとき、小麦に和わせ、こねていきます。


それを拗棒で100回ほどのし、2時間ほど寝かせます・・・。


そしてまた100回ほど拗し、ごく薄くなるまでのべていきます。


それを「経帯」、つまり書物が巻物であったときに巻いてとめた平紐のように巾広に切っていくのです。


7分ほど茹でたら、冷水ですすぎます。見た目は平たく、今で言うきしめんに近いですね。
かけ汁はお好みで用意すれば、完成です!

ちなみに画像では鎌倉時代などの文献を参考に、干し椎茸とごま油でアレンジした「しいたけ汁」で仕上げられています。

室町時代の「経帯麺」、実際にレシピをもとに挑戦してみたいと話を伺ったのですが、のばす作業にかなり手こずるのだそう。どうしても興味がある方のみ、チャレンジしてみてください。現代では、新横浜ラーメン博物館で美味しいラーメンがお手軽にたくさん食べられますよ(笑)

日本で最初のラーメン店は?

明治維新により上陸した中国の食文化ですが、当初は高価格で、誰もが食べられるようなものではありませんでした。その後、徐々に大衆化され、明治の後期にラーメンが誕生することとなります。

ちなみに店舗として日本初のラーメン専門店はというと、1910年に浅草で創業した「来々軒」だとされています。

当時絶大な人気を博した「來々軒」。残念ながら既に閉店している。
Ⓒ新横浜ラーメン博物館

そして戦後、中国からの引揚者によるラーメンの屋台が全国に出現し、戦後の物資が乏しい時代にピッタリの食べ物として広まります。1958年に初のインスタントラーメン「日清チキンラーメン」が発売されると、「支那そば」や「中華そば」と言われていたものの「ラーメン」という呼称が全国的に広まったようです。

ラー博によると今はラーメン多様化期だそう。確かに、ラー博では様々なラーメン店が軒を連ねており、なかにはニューヨーク発のお店も!

昭和の懐かしい街並みを再現した館内。
平日の昼間でもこの賑わい!

最新のラーメンも食べられて、ラーメンの歴史もよくわかる新横浜ラーメン博物館。ぜひ行ってみてくださいね。

新横浜ラーメン博物館
〒222-0033 横浜市港北区新横浜2-14-21
公式サイト:http://www.raumen.co.jp/

画像提供:新横浜ラーメン博物館

関連記事
【徳川光圀は新しいもの好き】薬の調合から鈴集めまで!偉人たちの意外な趣味
【最初に食べたのは誰?】利休、水戸黄門…偉人も食した納豆の歴史
【家康?政宗?】日本で初めて花火を見たのはあの人!意外と知らない花火の歴史

Return Top