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【西太后の逸話】中国三大悪女として語り継がれる恐怖のエピソードとは?

【西太后の逸話】中国三大悪女として語り継がれる恐怖のエピソードとは?

中国の歴史上、屈指の「悪女」といえば誰を思い浮かべるでしょうか。武則天(ぶそくてん)呂后(りょこう)などと並んで日本でも有名なのが、清の西太后(せいたいこう)です。数々の恐ろしい逸話が語り継がれる西太后。皇帝を陰で操り、ライバルを蹴落とし続けたといわれる彼女は、どんな人物だったのでしょうか。今回は、西太后の実態として伝えられている逸話をご紹介します。

西太后の晩年の真影

西太后の晩年の真影。豪奢な装飾が、彼女の権力を物語っています。

西太后とはどんな人物だったのか

西太后は中級官僚の娘として誕生しました。出生地については諸説ありますが、北京が有力とされています。数え年18歳で、当時の皇帝である咸豊帝(かんぽうてい)の後宮に入ります。当時は蘭貴人(らんきじん)、その後は懿貴妃(いきひ)とも呼ばれていました。夫の咸豊帝は「太平天国の乱」「第二次アヘン戦争」が起きた大変な時代に帝位にありましたが、特に実力を発揮することもなく30歳で亡くなった人物です。

咸豊帝の肖像

咸豊帝の肖像。

西太后は咸豊帝の死後、清朝の実権を握り、ライバルとなる妃や大臣を葬っていきます。そして皇帝や王朝を50年近くにわたって操り、垂簾聴政(すいれんちょうせい=女性による摂政政治)を行いました。自分の権力を守るためには手段を選ばなかった西太后。彼女が権力の座にある間に清朝は、西洋列強の圧力や内乱などで衰弱し、彼女の死後数年で崩壊してしまいました。

清の最後を象徴する人物ですが、権力を守るために政敵をたたきつぶした手腕が恐れられ、さまざまな逸話が現代まで語り継がれています。

側室を井戸に?西太后を怒らせた珍妃の惨劇

珍妃は西太后の甥である光緒帝(こうしょてい)の側室で、彼に最も愛された妃です。光緒帝がすでに西太后に実権を奪われていたため、彼女も西太后に逆らっては生きていけない境遇でした。

義和団の乱」の最中、西太后は戦力の差を顧みず、西洋諸国に宣戦布告します。その結果、都である北京は日本を含む8カ国連合に攻め込まれ、清は絶体絶命に。西太后は皇帝を連れて逃げようとします。珍妃はその際、皇帝に「踏みとどまって講和条約を結ぶべきです」と直訴しました。これが権力者である西太后の逆鱗に触れ、珍妃は生きたまま井戸に投げ込まれ殺されてしまうのです。

西太后にしてみれば、自分は逃げようとしているのに、皇帝に講和交渉をされると、自分の地位が危うくなると考えたのでしょう。理由はどうあれ、正論を述べて殺された珍妃の悲劇は、現代まで語り継がれています。

光緒帝を毒殺か?自らの死の前日まで

愛する珍妃を西太后に殺された光緒帝は、その後も西太后に逆らえないまま死を迎えます。

光緒帝の肖像

光緒帝の肖像。

21世紀に行われた調査では、光緒帝の遺体からヒ素が検出されたとの報告があるそうです。毒殺されたという説もあり、その容疑者の中に西太后の名前も挙げられています。奇妙なのは、西太后も光緒帝の死の翌日に息を引き取ったということです。自分の死後に一族が光緒帝から復讐されることを恐れて手を下したのか、死の気配を感じ、一人でも多くの政敵を葬ろうとしていたのか、理由はわかりません。もし、自分の甥を殺害したのであれば、本当に恐ろしい話。しかし、真相は歴史の闇の中です。

手足切断?瓶詰めに!麗妃を襲う女の嫉妬

次々とライバルを葬っていった西太后には、恐ろしい逸話がまだ他にも……。ライバルの麗妃(皇帝の側室)の手足を切り落として瓶の中に入れ、“だるま女”としてさらしものにしたという伝説です。西太后を題材とした映画にも、そのようなシーンがあります。夫である咸豊帝の寵妃に対する嫉妬から、このようなことをしたといわれています。

想像するだけでも恐ろしい話ですが、この伝説は事実無根であることが分かっており、同じく「悪女」としてあげられる呂后や武則天の逸話と混同されたようです。しかし、このような逸話ができたのも、「西太后ならやりかねない」と思われていたからでしょう。

恐ろしい逸話は後付けされた?権力を持ち続けた女性

神輿に乗る西太后

神輿に乗る西太后。男尊女卑の社会の中で権力を握っていました。

生きた女性を井戸に投げ込んで殺したり、甥を毒殺したり、ライバルの手足を切断したりと、恐ろしすぎる逸話が現代まで語り継がれています。しかし、中には麗妃の話のようにフィクションと判明している話もあります。なぜ、このように誤解を含んだ恐ろしい話が、西太后の伝説として語り続けられているのでしょうか。

中国の歴史上、女帝は武則天しかおらず、権力階級では男尊女卑の習慣がありました。その中で西太后は、50年近くの長きにわたって女性でありながら権力を持ち続け、しかもその直後に王朝が崩壊してしまったのです。事実よりも強烈に脚色された悪いイメージを植え付けられてしまったのも、そうした状況を考えると致し方ないのかもしれません。

今後も語り継がれていく悪女伝説

西太后が崩壊する王朝においてどのような思いで権力にしがみ付き、政敵を殺し、垂簾聴政を行ったのかは想像するしかありません。中国の諸王朝の最後、清王朝の崩壊期をさまざまな逸話で彩った人物として、これからも語り継がれていくことでしょう。

 

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