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【渋沢栄一の功績】日本経済の礎を築いた実業家の偉大さに迫る

【渋沢栄一の功績】日本経済の礎を築いた実業家の偉大さに迫る

現在では多くの企業が日本の経済活動を支えています。企業にはさまざまな形がありますが、その中でも最も馴染み深いのが株式会社でしょう。
株式会社を日本に定着させたのは渋沢栄一という実業家でした。渋沢は近代日本経済を発展させるための重要な役割を担ったことで知られていますが、一体どのような活動をしたのでしょうか?
渋沢の残した主な功績や社会貢献活動への関わり、また経済哲学などについてご紹介します。

日本資本主義の父と呼ばれる

渋沢はその功績から「日本資本主義の父」と呼ばれています。彼はどのような功績を残したのでしょうか?

日本初の株式会社を設立した

明治2年(1869)渋沢は静岡に「商法会所」を設立しました。これは官民合同で出資を募り、商法会所を通じて販売を行う組織です。身分に関係なく出資できるのが特徴で、いわば日本初の株式会社でした。この組織はのちに東京商法会議所となり、現在の東京商工会議所へと変わっていきます。
渋沢がこのような組織を作ったのは、フランスへの渡航で合本組織(現在の株式会社)の存在を知り感銘を受けたからです。渋沢はこれを日本でも実践したいと考え、合本組織を根付かせることで日本経済の発展に寄与しました。

500社以上の会社設立に関与

埼玉県深谷市にある渋沢栄一記念館です。

渋沢は生涯で500以上の株式会社の創業や経営に関与しており、その中には大企業も多数含まれています。
もともと渋沢は幕臣で、明治以降は大隈重信に説得され大蔵省に入省しました。しかし予算編成を巡り大久保利通らと対立。井上馨の政府退職に同調して大蔵省を辞めたあとは、実業界に身を置き企業の設立に尽力したのです。
このような功績が称えられ、明治20年(1887)頃には渋沢を慕う企業経営者らによる竜門社(現在の渋沢栄一記念財団)が設立されました。

創業した主な企業・機関とは?

渋沢が創業した企業にはどのようなところがあるのでしょうか。ここでは代表的なものをご紹介します。

東京証券取引所

株式会社の成立に重要な役割を果たしているのが証券取引所です。株式会社は株式を発行して出資金を集め、投資家はその株に投資して事業に参加できます。これを取りまとめるのが証券取引所の役割です。
渋沢はフランスで株式取引所を見学し、株式会社と取引所の仕組みに感嘆します。そしてその後、大蔵省で株式取引所の設立に取り組むことになりました。これは日本での株式会社制度導入の為に必要なものだったのです。

第一国立銀行(みずほ銀行)

毎日新聞社「昭和史第1巻 昭和前史・文明開化」より、第一国立銀行です。

銀行口座を誰しも一つは保有していると思いますが、この銀行という組織を日本で初めて作ったのも渋沢です。
渋沢は「国立銀行条例」の制定に携わり、明治6年(1873)6月11日に第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を創業しました。みずほ銀行の金融機関コードが「0001」となっているのは、日本初の銀行だからです。

東京瓦斯(東京ガス)

渋沢は日常生活に大きく関わる会社も創業しています。それが東京瓦斯(東京ガス)です。
近年ではオール電化などガスを利用しないこともありますが、当時の渋沢は「近代化にガスは必要不可欠」と考え、ガス事業に乗り出しました。明治初期は東京府(今の東京都)が行っていたガス事業ですが、明治18年(1885)民間企業の東京瓦斯が誕生したのです。

社会貢献活動にも尽力

渋沢の功績は会社の創業や経営だけにとどまりません。それ以外にも多くの社会事業に貢献していたのです。

多くの大学設立に協力する

渋沢は有志たちと私塾国士舘(現在の国士館大学など)を創立しました。(前列右から2番目)

社会活動に熱心だった渋沢は教育にも力を入れ、「商法講習所(現一橋大学)」「大倉商業学校(現東京経済大学)」など多くの大学設立に協力したほか、「二松學舍(現二松學舍大学)」の舎長にも就任しました。
また女子教育の必要性も重視し、伊藤博文や勝海舟とともに女子教育奨励会を設立。日本女子大学校や東京女学館の設立にも力を注いでいます。

貧困と飢餓を救済した

渋沢は東京市からの要請で東京養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)という公立救貧施設の院長も務めていました。明治維新が起こったこの時期、社会体制の崩壊や災害によって多くの人が貧困と飢餓に苦しんでいたのです。実業界を退いた後も彼はこの施設で活動を続け、身寄りのない人や路上生活者、障害のある人などを救済し続けました。

倫理と経済の両立を果たす

渋沢には経営理念がありました。彼の思想はどのようなものだったのでしょうか?

「道徳経済合一説」を打ち出す

大正5年(1916)に著した『論語と算盤』の中で、渋沢は「道徳経済合一説」という理念を打ち出します。これは幼少期に学んだ『論語』をもとにした理論で、「倫理と利益の両立を掲げて経済を発展させ、富は独占せずに全体で共有して社会に還元する」と説くものでした。
渋沢は、富をつくるのは仁義道徳であり、欺瞞(ぎまん)・不道徳・権謀術数的なものは真の商才ではないと述べています。彼は私益よりも国益を考えて動いていたことがわかります。

ドラッカーも認める人物!

明治期には財閥を作るほどの有名な経済人が多く輩出されましたが、渋沢はその中でも財閥を作らなかった人物です。ここには己の利益を追求せずに公益を図るという彼の経営哲学が反映されていたのでしょう。
経営学の巨匠といわれるピーター・ドラッカーは、社会的責任を意識した渋沢の姿勢を高く評価し、彼は誰よりも早く経営の本質は責任だということを見抜いていたと述べています。

受け継がれる経営哲学

近代日本経済の基礎を築いた渋沢栄一。その経営哲学は現在にも脈々と受け継がれています。近年では働き方も多様化し、組織に属さず起業する人も増えています。そのような人にとっても、渋沢の経営哲学は役立つことでしょう。
日本経済に大きく貢献した渋沢は、2024年から新1万円札の顔になることが決まりました。また、2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公になることも発表されています。渋沢がドラマでどのように描かれるのか、今から楽しみですね。

 

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