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【 個性豊かすぎる 】 実はこんな人物だった!徳川15代将軍まとめ

【 個性豊かすぎる 】 実はこんな人物だった!徳川15代将軍まとめ

江戸幕府の将軍は15代続きましたが、それぞれがどんなことをしたのかと言われると、一部の将軍しか知らなかったりします。それで今回は15人の将軍たちがどんなことを成し遂げたのか、どのような人物だったのかを超高速で振り返ってみましょう。

初代将軍:徳川家康

初代将軍:徳川家康

初代将軍:徳川家康

権現様と称される家康。江戸幕府を打ち立てた偉大なる初代将軍の功績については言うまでもありませんね。家康本人は薬を自分で調合するほどの健康オタクであり、眼鏡を愛用する新し物好きでもありました。

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第2代将軍:徳川秀忠

第2代将軍:徳川秀忠

第2代将軍:徳川秀忠

初代将軍・家康の三男です。大河ドラマにもなった浅井三姉妹「江」の夫としても有名です。関ヶ原の戦いに遅刻して家康にこっぴどく叱られましたが、2代目として安定の政治を行いました。真面目すぎるエピソードの宝庫です。

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第3代将軍:徳川家光

第3代将軍:徳川家光

第3代将軍:徳川家光

ちなみに15人の徳川将軍のうち、正室の子は家康・家光・慶喜の3人のみであり、なかでも将軍の御内室(御台所)が生んだ将軍は家光のみだそうです。
政治面では、参勤交代や鎖国の完成、「生まれながらの将軍」発言など強気な姿勢が目立ちましたが、実は当初女性に興味がなく子作りが大変だったそうです・・・。

第4代将軍:徳川家綱

第4代将軍:徳川家綱

第4代将軍:徳川家綱

家光の長男として第4代将軍に。武断政治から文治政治への政策切り替えを行いました。明暦の大火の後に両国橋を建設し、この付近に土俵が作られたことから相撲が発展したため、彼はある意味相撲の父です。

第5代将軍:徳川綱吉

第5代将軍:徳川綱吉

第5代将軍:徳川綱吉

3代将軍・家光の四男です。生類憐みの令を発令しましたが、儒教による平和な政治は「天和の治」と呼ばれました。彼の時代に赤穂浪士討ち入り事件が起きています。「能狂」と呼ばれるほど能を愛好したことでも有名です。

第6代将軍:徳川家宣

第6代将軍:徳川家宣

第6代将軍:徳川家宣

3代将軍・家光の孫にあたります。真面目で細面のハンサムだったそうですよ。生類憐みの令を廃止し、真面目に政務に取り組みました。綱吉の養子となったたことで周囲が賄賂を持ってきましたが、彼は一切受け取らなかったそうです。死因は、当時流行していた感冒(インフルエンザ)ともいわれいます。

第7代将軍:徳川家継

第7代将軍:徳川家継

第7代将軍:徳川家継

6代・家宣の四男。兄弟みな早逝してしまい、なんと4歳という史上最年少で征夷大将軍となりますが、彼もまた病弱で8歳で亡くなってしまいました。ちなみに家継が亡くなった時、婚約者はまだ1歳7か月でした・・・。

第8代将軍:徳川吉宗

第8代将軍:徳川吉宗

第8代将軍:徳川吉宗

言わずと知れた「暴れん坊将軍」のモデルです。
徳川御三家の紀州藩・徳川光貞の四男でしたが、御三家出身で初めて養子として宗家を相続します。
幕府の財政を建て直し、倹約を奨励するなど享保の改革で有名ですね。一方、蘭学など海外に興味を持ち、ベトナムから象を輸入して江戸の町を騒然とさせますが、空前の象ブームをもたらしたとか。

第9代将軍:徳川家重

第9代将軍:徳川家重

第9代将軍:徳川家重

吉宗の長男として第9代将軍に。虚弱で言語障害があったため、父・吉宗の悩みの種だったようです。ただ、享保の改革の遺産があったため治世は安定していました。かなりの頻尿だったようで、小便公方とも呼ばれていたそうです。実は女性だった!?という説もあります。

第10代将軍:徳川家治

第10代将軍:徳川家治

第10代将軍:徳川家治

家重の子として第10代将軍になった家治は、祖父・吉宗から帝王学を授かり、幼い頃は聡明で有名でした。
しかし田沼意次を登用するなど政治面には疑問が残りました。将軍にしては珍しく愛妻家だった家治は、側室に男子を生ませるとすぐに正室に預けお役御免としたそうです。ほかにも将棋を愛好し、7段の腕前を持っていました。

第11代将軍:徳川家斉

第11代将軍:徳川家斉

第11代将軍:徳川家斉

もとは御三卿一橋家の当主・一橋治済の長男でしたが、家治の養子として第11代将軍に。
松平定信を登用して寛政の改革を行い、在職期間は50年と15人のうちで最長です。妻妾を16人持った色好みで、オットセイを精力剤に使ったため「オットセイ将軍」などと呼ばれました。

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第12代将軍:徳川家慶

第12代将軍:徳川家慶

第12代将軍:徳川家慶

家斉の次男として第12代将軍に。水野忠邦を登用し天保の改革を行いましたが、常に「そうせい(=そのようにしろ)」としか言わないため「そうせい様」と呼ばれました。父・家斉の力が強すぎて何もできず、というのもあったようです。

第13代将軍:徳川家定

第13代将軍:徳川家定

第13代将軍:徳川家定

家慶の四男。大河ドラマとなり有名な篤姫の夫です。幼少より病弱で、表舞台にはほとんど出ませんでした。しかしお菓子作りが趣味だったようで、手製のカステラなどを近臣に振る舞ったそうです。

第14代将軍:徳川家茂

第14代将軍:徳川家茂

第14代将軍:徳川家茂

もとは徳川御三家紀州藩の藩主でしたが、家定に子が無かったため、家定の従弟だった家茂が14代目将軍に。わずか21歳で亡くなってしまいましたが、勝海舟は「もう少し生きていたら名君になれただろう」と評しています。フランスとイタリアで蚕の伝染病が流行り養蚕業が壊滅した時には、家茂が蚕の卵を集めてナポレオン3世に送り助けました。日仏交流の礎を築いたといわれています。

第15代将軍:徳川慶喜

第15代将軍:徳川慶喜

第15代将軍:徳川慶喜

言わずと知れた最後の将軍ですね。大政奉還や新政府軍への江戸開城を行なったことで有名です。
その一方では多趣味な風流人としての側面もあり、実は手裏剣の達人だったそう。またカメラを愛好したり、側近と共にサイクリングも楽しんだそうです。戊辰戦争後は貴族院議員として国政に復帰しました。

徳川将軍15名を簡単にご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
隠れた功績というか、意外と人間的に面白い一面を持っている将軍がいることがわかりますね。
15人もいて覚えられないという方、特徴を頭に入れてみると覚えられるかもしれませんよ。
ここに書いたのはほんの一部。ぜひそれぞれの将軍について興味をもち、調べてみるきっかけにしてください。

(xiao)

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