西郷隆盛といえば日本人の誰もが知る幕末維新期の英傑。有名な「上野の隆盛像」をご覧になった方は、大きくてがっしりとした顔つきに凛々しい両の太い眉、爛々と見開かれた黒い瞳、恰幅の良い姿をすぐに思い浮かべると思います。そんな見るからに健康そうなイメージがある西郷隆盛ですが、実は象皮症という病気に苦しんでいました。今回は、そんな西郷の象皮症にまつわるお話についてご紹介していきます。
西郷隆盛を苦しめた病気とは
西郷隆盛を苦しめていた病気は、“リンパ系フィラリア症”の後遺症による“象皮症”といわれています。
どちらの病名もあまり日本では聞き慣れないものかもしれませんが、熱帯・亜熱帯諸国では1億2千人以上が感染している疾患として知られています。予防薬の投与などの対策が取られていますが、現代でも根絶は難しいようです。
フィラリア症から象皮症になる理由
フィラリア感染症になると、どうして象皮症を発症するのでしょうか。フィラリア症に感染すると、バンクロフト糸状虫という寄生虫がリンパ管に寄生して、炎症を起こし細胞を破壊していきます。進行するとリンパ液の流れが阻害され、浮腫(むくみ)が発症。この浮腫によって皮膚や皮下組織が刺激され、結合細胞が増殖して硬化する象皮症に至るというメカニズムです。
西郷が病気にかかった経緯について
西郷隆盛はどうして、フィラリア症に感染し象皮症を発症してしまったのでしょうか。
その原因には、彼の生涯で起こったある出来事が大きく関わっているようです。
“島流し”のときに感染した?
国父と呼ばれ薩摩藩の実権を握っていた島津久光の怒りを買ってしまった西郷は、徳之島への島流しを命じられました。その後、追い打ちをかけるように沖永良部島へ流され他のですが、そこでフィラリア症に感染したようです。
沖永良部での生活は、二畳ほどの吹きさらしの牢の中で、南洋の風雨にさらされ、食事も極めて質素というものでした。フィラリア症は、亜熱帯気候の沖永良部では風土病で知られており、西郷はこの地で悲劇に襲われたと見て間違いなさそうです。
象皮症の原因は蚊!
象皮症に至るリンパ系フィラリア症の感染経路は“蚊”です。
現代の日本ではヒト寄生性のあるフィラリアはほぼ根絶されていますが、江戸時代には全国的に蔓延する感染症でした。葛飾北斎の浮世絵にも象皮症の患者が描かれており、また、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』には象皮病の症状のことを詠んだ歌が残されています。
痛みに肥大化!?恐ろしい象皮症の症状
象皮症の症状は、発症部位に強い痛みが出て、全身に熱や悪寒が伴い、むくんだ部分がどんどん肥大化していくというものです。患部がゾウの皮膚状になることから、象皮症と呼ばれました。男性の陰茎や陰嚢、女性の外陰部、加えて上腕や乳房で発症しやすく、病状が深刻になると、身動きや呼吸などといった生理的な動きにまで大きな制約が出てきます。また、体の一部が肥大化するため、その見た目による精神的な苦痛も伴う恐ろしい病気なのです。
西郷の病気にまつわる逸話
西郷隆盛が象皮症に感染していた部位は、男性にとって大切な生殖器の陰嚢(金玉)でした。西郷は、肥大化した陰嚢が邪魔をして馬に乗れず、遠距離へ行くには駕籠(かご)を使用し、短距離は徒歩で移動したものの、股擦れの痛みに苦しんでいたそうです。
また、西南戦争後の死体検視のとき、自害をした西郷は介錯によって首がなかったため、その陰嚢の大きさで本人を見極めたという逸話が残されています。
さまざまな困難に生きた西郷
薩摩の英雄である西郷隆盛も大変な難病を抱え、人知れぬ苦悩をしていたのかと考えると、その一生に凄まじさを感じます。彼はほかにも幼少期のケガが元で武士でありながら刀を握れなくなった、征韓論政変などのストレスが原因で激太りしたといった逸話も残っています。
歴史の教科書では語られない、西郷隆盛の真の姿に今一度目を向けてみてはいかがでしょうか。きっと、その勇猛でひたむきな生き様に魅了されることでしょう。
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