【 気になる平成の次は? 】天皇譲位による新元号の定め方とは

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【 気になる平成の次は? 】天皇譲位による新元号の定め方とは

先日、天皇陛下の譲位を可能にする特例法が成立しました。今上天皇の譲位が実現すれば、江戸時代後期の光格天皇以来、約200年ぶりとなります。この譲位に際し、政府が最初に行わなければならない重要事項が、新しい元号(年号)を定めることです。

本日6月19日は、645(大化元)年、蘇我氏を倒した中大兄皇子が、日本初の元号「大化」を定めた「元号の日」
そこで、元号の成り立ちや「平成」の次はどうなるのか、皇室研究の専門家で日本の元号にも詳しい、京都産業大学名誉教授の所功先生にお話をうかがいました。

元号は皇位継承の時に政令で定める

日本の元号(年号)は、「大化」(645年)「大宝」(701年)の昔から、「大正」(1912年)「昭和」(1926年)に至るまで、時の天皇が、公卿(今の閣僚)や枢密顧問の会議に諮られて、最も善い文字を「勅定」されることになっていました。

それが戦後は、GHQから「一世一元」(天皇一代に元号一つ)の年号は「天皇の権威を表すことになる」とみなされ、新皇室典範に「元号」(改元)の規定を盛り込むことができませんでした。そのため、昭和40年代の中ごろから、「元号」の再法制化を求める声が強くなり、同54年6月12日に「元号法」が制定されたのです。

その条文は、次の二項目から成っています。

 1.元号は、政令で定める。
2.元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。

従来は天皇が「勅定」されることになっていましたが、日本国憲法にて「国政に関する権能を有しない」と制約された天皇に直接的な権限がないため、この法律に基づいて、政府が「政令」によって定めることになりました。

また、明治以来の「一世一元」という原則を受け継ぎ、「皇位の継承があった場合に限り」直ちに新しい元号を定めると、在位中はその元号を使い続けるということになったのです。

このような元号制度は、かつて中国をはじめ周辺諸国で行われてきましたが、今や日本にしかありません。

「平成」の理想は「平和の達成」

「平成」の元号は、昭和天皇が崩御された昭和64(1989)年、1月7日の午後2時頃、官邸から皇居、今上陛下へ上奏され、「明仁」という御名の染筆と「天皇御璽」の金印を押す手続きが進められました。それと併行して、首相官邸から小渕官房長官が、「平成」という二字を筆書きした額を掲げながら、次のように公表しました。

新しい元号は「平成」であります。これは、『史記』の五帝本紀、及び『書経』の大禹謨(うぼ)中の「内平かに外成る」(史記)「地平かに天成る」(書経)という文字の中から引用したものであります。
この「平成」には、国の内外にも天地にも平和が達成される、という意味がこめられており、これから新しい時代の元号とするに最もふさわしい元号であります。

この時の光景は、40歳代以上の方々なら覚えていらっしゃるでしょうが、特に私は決して忘れることができません。

私は学部の卒業論文以来「年号(元号)」に関心をもち、昭和54年(1979)に「元号法」が成立する2年前、『日本の元号』(雄山閣出版)と題する小著を出しています。そのためか、同62年9月に昭和天皇が手術入院されたころから、いろいろ問い合わせを受け相談に応じていました。とりわけNHKから、万一の場合、改元の特別報道番組で解説の手助けを依頼され、翌63年9月の大量吐血以降、ほとんど東京に逗留することを余儀なくされました。

そして翌64年1月7日当日、正午からスタジオに入り、ベテランのアナウンサーと年号の来歴などについて話をつないでいたところ、首相官邸からFAXが届きまして、そこで初めて新元号が「平成」であり、その出典が『史記』と『書経』だということを知りました。
そのため、とっさに感想を求められても、うまく答えられませんでしたが、感じたままを話したように憶えています。

この「平成」という元号は、「国民の理想としてふさわしい、よい意味をもつもの」であり「漢字二字である」だけでなく「書きやすい」「読みやすい」ことは、一見して明らかです。

また「これまでに元号又は諡号として用いられたものではない」「俗用されているものでない」ことは、十分に精査されていました(念のため、岐阜県武儀郡に「平成」という地区名のあることを後で知りましたが、これは「へなり」と訓みます)。

さらに元号をイニシャルで示す場合、「へいせい」はHですが、「めいぢ」のM 、「たいしょう」のT、「しょうわ」のSと重ならないことも、事前に考慮して選ばれたと思われます。

とりわけ出典の『史記』にみえる「内平外成」は、舜という伝説上の聖帝が、人材を登用して政治と教育にあたらせたところ、家や国の内も外も整い平和になった、という逸話に出てくる四字句です。

また『書経』にみえる「地平天成」も、舜の抜擢した禹(夏の始祖)が、五穀を実らせ生活を豊かにすれば「地も天も穏かに治まり平和になる」という逸話に出てくる四字句です(この両方が『春秋左氏伝』にもみえます)。

いずれにしましても、「平成」という二文字が「平和の達成」という永遠の理想を表明していると解釈することは可能です。とすれば、これこそ「国民の理想としてふさわしいもの」だと思われます。

新元号はどうやって決まるのか?

それでは、この「皇位の継承があった場合に限り」改められる元号は、これから「譲位」が行われる際、どのように決められるのでしょうか。

まず従来のように天皇陛下の崩御という最も悲しい事態を密かに予測しながら、ごく内々に進められてきた改元の準備が、かなりオープンに行われてよいだろうと思われます。

譲位の時期が内定されましたら、それより一年ほど前から行われる準備の一つとして、政府が改元の作業に入り準備を進めている事実は、ある段階で公表されてもよいのではないかと思われます。

また、おそらく半年ほど前までに数名の考案者から提出される文字案は、内閣官房官のもとでの担当関係者が丹念に精査して整理し、三案ぐらいに絞り込みます。さらに3ヶ月ほど前、その三案を皇室会議と日本学士院および衆参院両院議長などに諮って、最良の一案が選ばれることになるのではないでしょうか。

その上で、遅くとも1ヶ月ほど前までにベストな新元号案を閣議において内定し、今上陛下と皇太子殿下に上奏して、正式に公布することにします。そうすれば、譲位の日までに官庁や銀行および報道機関などでも書類や情報データなどの切り替え作業ができます。

やがて譲位当日、すなわち新天皇の践祚日から新元号を施行する、というような運びとなれば、かなりスムーズに改元が完成するものと思われます。

なお、元号(年号)の出典は、従来すべて漢籍(中国の古典)でした。しかし、日本で作成された漢文著作(勅撰の六国史や漢詩文集など)から採ることも考えてよいのではないか、という案を坂本太郎博士(東大名誉教授、文化勲章受章者)が早くから内々に提示しておられました。

また、元号(年号)に使用する漢字は、従来かなり厳しく制限され、最近まで七十一字に留まっていました。しかし「平成」改元の際、「平」は過去11回も使われてきましたが、「成」は新たに採用された一字です。
従って、次回からは、これまでの七十二字を基本としながらも、「国民の理想をあらわすにふさわしい」「書きやすい」「読みやすい」という要件に叶えば、新しい文字を加えてもよいのではないかと思われます。


所功(ところ いさお)
昭和16年(1941)12月岐阜県出身。名古屋大学史学科・同大学院修士課程卒業。皇學館大学助教授・文部省教科書調査官を経て同56年(1981)より京都産業大学教授。法学博士(慶應義塾大学、日本法制文化史)。平成24年(2012)より京都産業大学名誉教授、モラロジー研究所教授。主な著書に『皇室典範と女性宮家』『伊勢神宮と日本文化』( 勉誠出版)、『皇位継承のあり方』(PHP新書)、『天皇の「まつりごと」』(NHK新書)、『歴代天皇の実像』『皇室に学ぶ徳育』(モラロジー研究所)代表編著に『皇室事典』(角川学芸出版)、『日本年号史大事典』(雄山閣)など。

象徴天皇「高齢譲位」の真相
(ベストセラーズ)

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