歴人マガジン

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「東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」ってどうやって描いたの??

 

「東海道五拾三次」とは、55枚の浮世絵に、春夏秋冬の季節感や時刻(戸塚宿の夕暮れ)、雨(大磯宿の雨)や霧や風など自然の変化が巧みに表現されたもの。

この画像、一度どこかで見た事はあるのではないでしょうか。

 

東海道の風景が春夏秋冬で各時刻あるだなんて、安藤広重氏はどの様に描いたのか?

答えは簡単。
広重が「東海道五拾三次」を描いたのは、幕府の年中行事「八朔御馬献上」に参加したことが影響しています。しかし東海道を往復したのは夏ごろなので、東海道の四季をすべて写生できたはずもなく。。また時刻や自然の変化もかならずしもこの絵のようではなかった。つまりこれらの季節感や情緒あふれる風物は、日本人の感受性にもとづいて広重が創造した風景画なのです。

広重氏の才能ですね。

Portrait_à_la_mémoire_d'Hiroshige_par_Kunisada

画像はwikipeia(歌川広重)より

 

因みに、東海道は、なぜ「海道」と書くのか??

 

今日「東海道」というと、江戸時代の五街道の1つとしての東海道を思い浮かべますが、古代における「東海道」には2つの意味がありました。その1つはもちろん道としての東海道ですが、もう1つは地域区画としての東海道という意味です。
古代の律令時代には、日本は五畿七道(ごきしちどう)という行政区画に分けられていました。五畿とは、大和・山城・摂津・河内・和泉の畿内五国のこと、また七道とは東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道という7つの区画を指していた為、海道と書くようです。

 

東側の海沿い。
今の東京辺りも東海道だったんですね。

 

そんな事をおもいながら、この三連休、東海道へお出かけしてみては如何でしょうか☆

 

出典:関東地方整備局 横浜国道事務所ホームページ

広重はどうやって東海道を描いたのですか?

東海道って、なぜ「海道」と書くのですか?

 

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