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【歴史上で一番の“暴君”って誰なの?】歴史に名を残す暴君 三選!

【歴史上で一番の“暴君”って誰なの?】歴史に名を残す暴君 三選!

 

みなさんは“暴君”という言葉で、どんな歴史上の人物を思い浮かべるでしょうか?

世界の歴史を振り返ってみると、古今東西いつの時代においても、民を苦しめる暴虐な君主=“暴君”が数多く存在しています。

彼らは暴虐の限りを尽くす一方、暗君・愚帝とは必ずしもイコールではなく、有能な君主としての側面も持ちあわせていたりします。こういった部分が歴史の面白いところですよね。ということで、今回はそんな歴史に名を残す有名な“暴君”の中から3人をピックアップしてご紹介したいと思います。

暴君と言えばこの人!ローマ帝国 第5代皇帝・ネロ

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画像:Wikipediaより引用

 

おそらく世界で一番有名な暴君はローマ帝国 第5代皇帝・ネロでしょう。

16歳の若さで即位したネロは、最初の5年ほどは善政を敷き民からも人気がありましたが、次第に暴虐な本性を現し始めます(意外と最初はいいヤツだった暴君は多い)。

二人の妻や母親を殺害し、淫蕩の限りを尽くしたネロは、64年に起きた「ローマ大火」の罪をキリスト教徒に着せ、人類史上初めてキリスト教徒の大迫害を行います。この出来事が、彼が暴君として歴史に名を残す決定打となりました。

他にも、歌が好きで数千人の市民を集めてワンマンコンサートを開催したり、オリンピア競技に出場して1800の栄冠を勝ち取るもほとんどが八百長(戦車競技で戦車から落下してリタイアしたのに優勝はネロ!)だったりと、その数々の伝説はまさに暴君と呼ぶにふさわしいものばかり。

ちなみに、激辛お菓子でお馴染み「暴君ハバネロ」の商品名はこの人物が元になっています。遠く離れた日本でもその暴君ぶりを発揮していますね(笑)

 くじ引きで選ばれた悪御所!室町幕府 第6代将軍・足利義教

画像:Wikipediaより引用

画像:Wikipediaより引用

 

他国ほど暴君と言われる人物が多くない日本ですが、ここでは室町幕府 第6代将軍・足利義教をご紹介しましょう。

第5代将軍・義量の後継者が決まっておらず、困った幕府の重臣たちは「もう神様に決めてもらおう」ということで、くじ引きで次の将軍を決めることにします。そして選ばれたのが義教。周りからは「くじ引き将軍」と揶揄されましたが、本人は「私は神に選ばれたのだ!」という考えだったようで、次第に暴君振りが目立つようになります。

将軍の力を高めるため、守護大名の家督継承に積極的に介入し、従わない大名に対しては刺客を送って暗殺。また、信長に先駆けること140年前に延暦寺を初めて攻撃し、最後は僧侶24人を焼身自殺させる騒ぎを起こしています。

また、義教は些細な出来事で度々厳しい処罰を行っており、酌の仕方が下手だという理由で侍女の髪を切って尼にさせたり、説教しようとした僧に灼熱の鍋を頭からかぶせて喋れないように舌を切ったりと、「万人恐怖」と呼ばれる数多くのエピソードが残っています。

そんなこんなで恨みを買いまくっていた義教。最後は、赤松満祐・教康親子から「鴨の子がたくさん生まれたので、結城合戦の祝勝会もかねて見に来ませんか」と屋敷に招待され、そこで首をはねられてしまいました(1441年、嘉吉の乱)。

そんなに鴨が見たかったのか・・・と思ってしまいますが、最後は臣下に殺されてしまうあたり”THE暴君”という感じがします。

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聖徳太子からの手紙に大激怒!随 第2代皇帝・煬帝

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中国はその長い歴史のなかで恐怖政治や皇帝の独裁を敷いた王朝が多く、秦の始皇帝や明の朱元璋など、暴君の例に事欠きません。

そんな中から、今回は隋の第2代皇帝・煬帝(ようだい)をピックアップ。
聖徳太子の『日出ずる処の天子~』という手紙を持ってきた遣隋使・小野妹子にブチ切れたことでも有名なあの人です。

倹約家の孝行息子を装いながら皇位継承を目論んでいた楊広(=煬帝)は、派手好きで正妻以外の女を求めた皇太子の兄が両親から嫌われていると知るや、兄を陥れて失脚させ、自ら皇太子の座につきます。604年、父・楊堅の死を受けて皇帝となった煬帝ですが、実際には父を殺害していたという説があります。

即位後の煬帝はもうやりたい放題。私生活では女色におぼれ贅沢の限りを尽くし、朝廷に刃向う者に対しては見せしめとして残虐な刑罰を与えました。

極めつけは、100万人の民衆を動員して行った華北と江南を結ぶ大運河の建設です。女性までも動員した急工事だったうえに、開通のデモンストレーションとして自ら龍舟に乗って行幸を行ったことで民から大きな反発を受けました。

その後も三度の高句麗遠征や度重なる大事業により、国内で反乱が頻発。最後は、近臣の宇文化及ら近衛兵達に殺されてしまいます。

ちなみに、煬帝とは隋の後に統一王朝となった唐が付けた諡号(貴人や高徳の人に死後おくる名)で、「煬」には「天に逆らい、民を虐げる」という意味があります。世界広しといえども、名前自体が“暴君”を表しているのは煬帝くらいでしょう。

打倒・煬帝!中国歴史ドラマ『隋唐演義 集いし46人の英雄と滅びゆく帝国』

そんな“暴君”煬帝を倒すために起ち上がった英雄たちの戦いを描いたのが中国歴史ドラマ『隋唐演義 集いし46人の英雄と滅びゆく帝国』です。総製作費30億円超。中国全土を巻き込んだ隋と唐の知られざる戦いを、美男美女の豪華キャスト陣で描いた歴史超大作です。ドラマの中で描かれる煬帝はまさに“暴君”。まずは予告編をご覧ください!

中国歴史ドラマ『隋唐演義 集いし46人の英雄と滅びゆく帝国』
放送日:2017年1月7日(土)スタート 土曜 深夜1:00~ 4話連続
番組ページ:https://www.ch-ginga.jp/feature/zuitouengi/

民を苦しめた暴君たち。しかし一方では・・・

ここまで3人の暴君エピソードを紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

こいつら悪いやつだな~という感想を持った方が多いと思いますが、一方で彼らの残した功績をたたえる見方も存在しています。

例えば、煬帝の大運河建設。「狂気の偉業」とも呼ばれるように歴史的意義は非常に大きく、結果的に中国の経済と文化の発展に大きく貢献しました。歴代の王朝によって整備されながら、現在も京杭大運河という名で重要な役割を担っています。

見方を変えたり、ちょっと深く調べてみると、様々な発見があるのが歴史の面白さですよね。

みなさんもこの機会に、気になる歴史上の人物を調べてみるのはいかがでしょうか?
新しい発見があるかもしれませんよ!

画像:(C)浙江永楽影視制作有限公司



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