真田幸村といえば、今まさに大河ドラマ「真田丸」で有名ですよね。
その他にも漫画やゲームなどでは、勇猛果敢、しかも顔もイケメンであるキャラクターとして描かれています。
彼がその活躍するのは大坂の陣という戦です。
大坂の陣とは、徳川家康が江戸幕府をゆるぎないものにするため、当時影響力のあった大坂の豊臣家を滅ぼすべく、冬と夏の二度にわたって行われた戦です。
その戦で「真田丸」という要塞を作り徹底抗戦し、さらに味方が総崩れになっても決死の覚悟で徳川家康の本陣に攻め込んだのが真田幸村公であったのです。
今日は真田幸村公が愛したといわれる「真田こねつけ餅」と、それにまつわる切ないエピソードをご紹介しましょう。
米不足から生まれた真田こねつけ餅のレシピとは?
戦国時代には真田こねつけ餅のように、米に小麦粉などをつけて保存食にするといった食文化があったようです。
真田幸村が生まれ育った信濃の国は、現在の長野県にあたります。
長野県は内陸にあり水はけも十分ではないため、米作りはあまり盛んではありませんでしたので、米は貴重な食べ物でした。
そこで人々は生活の知恵として、余った米粒を再び水につけ、干し米にしたり、小麦粉を足して焼いたりしていたのです。
真田こねつけ餅も、余った米を水に浸して洗い、小麦粉と混ぜて作ります。
そのうえで、卵や味噌を包んで小丸型に丸め、フライパンでその両面を焼けば、完成です。
また卵や味噌だけでなく、ネギを多くいれてもまた違う風味となり大変美味しいです。
この真田こねつけ餅は、この地方では古くから食べられており、おそらく真田幸村も兄の信幸も幼い頃から食べて育っていたことでしょう。
こねつけ餅にまつわる真田兄弟の切ないエピソード
時は1615年のことです。
徳川家康は大坂城の外堀、内堀もすべて埋め立て、もはや大坂城の落城は明らかでした。
当時幸村は豊臣方、兄・真田信幸は徳川方として戦っていましたが、もはや豊臣方の滅亡は明らかでした。
そんななか、覚悟を決めた真田幸村公は兄・信幸の屋敷を密かに訪れます。
久しぶりの対面でしたが、二人にはこれが今生の別れになることはわかっていました。
二人は別れの盃をかわし、信幸は幸村に最後に渡すものはないかとあたりを見まわしますが、あいにく冷ご飯しかありませんでした。しかも深夜であるため、今から炊くというわけにもいきません。
そこで信幸は、このこねつけ餅を作り、幸村にそっと渡したといいます。
これが、兄の信幸が弟・幸村にできる精一杯のもてなしでありました。
その数日後、幸村は大坂の陣で戦死します。
兄弟が相争う戦国時代の中で、敵味方に分かれながらも生き続けた真田兄弟のきずなというのは、今となっては想像もつきませんね・・・。
上田に行ったらぜひ食べたい「真田こねつけ餅」
今日は長野県の郷土料理で有名な「真田こねつけ餅」を取り上げました。
上田市近辺ではこの真田こねつけ餅が、多くの店で売られております。
トッピングも様々で、信州みそからゆずみそなど4種類から選ぶことができますので、ぜひ上田城を訪れた際には食べてみてはいかがでしょうか。
参照元:
株式会社おやきや総本家
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