【軍神も酒には勝てず?】戦国武将たちの「お酒」にまつわる失敗談

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【軍神も酒には勝てず?】戦国武将たちの「お酒」にまつわる失敗談

戦国時代を描いた大河ドラマを見ていると、必ず出てくるのが酒宴の場面です。
大きな杯になみなみと酒を注いで一気飲みする武将たちのイメージが強いですが、それだけ戦国時代の食文化に酒が根付いていたということなのでしょうか?

大きな戦に勝ち、飲んで食べて歌っての大騒ぎ。
なかには酒に酔いしくじって、人生を台無しにしてしまった武将もいたようです。
今日は戦国武将とお酒にまつわるトリビアについてご紹介しましょう。

織田信長は酒好き?下戸?

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織田信長にまつわるお酒のエピソードは有名なので、皆さんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

1574年の元日、徳川家康をはじめとした重臣たちのいる前で、前年攻め滅ぼした浅井久政・長政親子と朝倉義景の頭蓋骨に酒を入れて飲んだという話です。

これをみた家臣たちはさぞ驚き、また信長という人を恐れたことでしょう。
またこの後、酒が飲めなかった明智光秀に対し執拗に酒を飲むことを強要したという話も残っています。

しかし最近では、宣教師のルイス・フロイスが書いた文書から、実は信長はお酒が飲めなかったのではないか?という説もあり、実際のところ酒飲みか下戸かは不明です。

無類の焼酎好きだった真田幸村

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今まさに大河ドラマ「真田丸」で大人気の真田幸村こと真田信繁ですが、彼は無類の焼酎好きだったといわれています。

1600年の関ヶ原の戦い後、真田幸村は父・真田昌幸とともに、紀州(現在の和歌山県)九度山に幽閉されます。九度山での生活は実に14年にも及び、その間に父の昌幸も亡くなります。幸村自身も頭が白くなり、歯が抜け落ちたという旨の書状が残っています。

しかし、この厳しい生活の中で幸村が愛してやまなかったのが焼酎でした。
その根拠となる資料が、九度山の麓に居た河原左京という家臣にあてた書状です。
中身を要約すると

この壺に焼酎をお詰め下さるようお願いします。持ち合わせがなければ次でもかまいませんから宜しくお願いします。ちょっと難しいですが、壺の口をしっかり閉めて、その上から紙で目張りをして頂くようお願いします。これを2つ作って下さい。折を見て取りに行きます」とあります。

漏れたらもったいないので紙で目張りを家臣に指示する幸村(笑)
幸村が焼酎を相当愛していたことがよくわかります。

酒が原因で寿命を縮めた?上杉謙信

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川中島の戦いでの武田信玄との一騎打ちが有名な上杉謙信。
戦の仕方も豪快だったようですが、酒の飲み方も相当豪快だったようです。

しかし彼は酒宴ではなく、一人で飲むことを好みました。
酒は「馬上盃」という直径12cmにもなる自分専用の盃を用いて飲んだそうです。

また、酒を飲む際は他の食べ物をほとんど食べず、せいぜい梅干しをつまむ程度だったと言われています。
そんな不摂生な生活が影響したのか、49歳の時にトイレで突然気を失い倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

いつの時代もお酒の飲み方は変わらない?

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このように酒にまつわるトリビアは様々な武将にありますが、お酒が生きるか死ぬかの瀬戸際にいた戦国武将の心を癒していたことは間違いないようです。

飲み方も様々であり、1人でちびちびと飲む武将から、みんなで大騒ぎして飲む武将までさまざまでした。そんなところは現代とあまり変わりませんね。

遠い存在に思える戦国武将も、お酒のエピソードをみてみると、とても身近に感じることができるのではないでしょうか。

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