【 帰省土産にぴったり 】 創業は室町時代、天皇・将軍御用達も!いつの時代も愛されるお菓子屋

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【 帰省土産にぴったり 】 創業は室町時代、天皇・将軍御用達も!いつの時代も愛されるお菓子屋

時代が変化しても愛され続ける実力と柔軟性を備えた老舗。その長い歴史の中では、驚くような偉人が贔屓にした経歴を持っていることもあります。
そんな偉人が愛したお店を、今回は食べ物屋をテーマに厳選して3軒ご紹介します。

創業は室町時代後期。御所御用達の菓子屋「とらや」

赤坂本店
赤坂本店

羊羹をはじめとした商品が広く親しまれているとらや。創業は室町時代後期という老舗中の老舗です。
天正14(1586)年に即位した後陽成天皇の在位中に御所に求められ、以来歴代天皇御用達となりました。

幕末期には公武合体を実現した14代将軍・家茂が上洛した際、徳川将軍家の御用達ともなっています。
虎屋の創業の地は京都。明治維新を経て、明治天皇が東京へ移ったのに合わせて虎屋も東京へ進出し、天皇家の御用達であり続けました。
2016年現在、国内店舗は北は北海道から南は九州まで、さらに外国との玄関口と言える羽田空港や成田空港にも展開しています。また、海外ではフランスに進出しています。

あの水戸黄門こと徳川光圀や、徳川慶喜、渋沢栄一などもとらやのお菓子を愛したそうで、長い歴史の中で様々な時代、地域、分野の有名人に愛されてきたことがわかりますね。

山岡鉄舟が明治天皇に引き合わせた元祖あんぱんの店「木村屋總本店」

名物のあんぱん。へそには桜の花びらの塩漬けが。
名物のあんぱん。へそには桜の花びらの塩漬けが。

こちらも天皇家ゆかりの食べ物屋。創業明治2年、日本で初めてあんぱんを作った木村屋です。

イースト菌ではなく酒種を使って発酵させ、さらに日本ならではのアンコをくるんだという、和洋折衷の近代日本を象徴するようなあんぱん。
木村屋初代当主の安兵衛が明治維新前から親交のあった山岡鉄舟に試食させ、味を気に入った鉄舟が明治天皇への献上を仲介したそうです。

「幕末の三舟」と称された山岡鉄舟
「幕末の三舟」と称された山岡鉄舟

へその部分に桜の塩漬けを飾り季節感をも演出したあんぱんは明治天皇に喜ばれ、以降天皇御用達となりました。
初めて献上した4月4日は、現在ではあんぱんの日とされています。

ちなみに木村屋の看板は、山岡鉄舟が送ったものでした。
現物は関東大震災で焼けてしまいましたが、元となったと思われる直筆の書は銀座本店4階のレストランで見ることができます。

山岡鉄舟 揮毫による看板
山岡鉄舟 揮毫による看板

徳川家と江戸、そして東京の人々に愛される菓子屋「壺屋總本店」

文京区本郷に残る壺屋總本店
文京区本郷に残る壺屋總本店

こちらは徳川将軍家ゆかりの和菓子屋。創業は寛永年間(1624~1645年)とされています。
江戸の名所や買い物スポットとして紹介された記録が残り、京都中御門家からは「壺屋出羽掾」「播磨大掾」の称号を与えられています。

江戸の大店は明治維新によって徳川幕府が終焉を迎えると、江戸時代を通した恩義に報いるために相次いで閉店したそうです。
壺屋總本店も同様に店を畳みましたが、それに待ったをかけたのが勝海舟でした。

こちたも「幕末の三舟」のひとり、勝海舟
こちたも「幕末の三舟」のひとり、勝海舟

「市民が壺屋の菓子を食べたがっているから、店を続けなさい」。
海舟のこの言葉により壺屋は店を再開。現在も東京都文京区で営業を続けています。

町の小さな和菓子屋さんと言った風情のお店ですが、店内には勝海舟直筆の「神逸気旺」の書が飾られています。

どのお店も現在も営業中。伝統の味に舌鼓を打ちながら、そのお店とお店にまつわる歴史もぜひご堪能ください。

参照元
とらやHP
木村屋總本店HP

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