戦国の城の極意を「虎の巻」よりライトに伝授する「戦国の城・ネコの巻」。第4回目は八王子城の話。なぜ、ここで八王子城かというと、6月23日(旧暦)の落城の日に合わせての企画、というわけだ。
八王子城は関東を代表する戦国の山城だ。日本100名城にも選ばれているから、訪れたことのある人も多いと思う。で、この城を訪れる人が必ず立ち寄るポイントが、御主殿の滝。北条氏照が暮らしたという御主殿から、城山川の方にちょっと下ったところにある、この滝。
天正18(1590)年の6月23日、前田利家と上杉景勝の率いる大軍によって八王子城が攻め落とされた時、多くの女性たちが身を投げたという伝説で有名な滝だ。夏でも薄暗く、ひんやりとした風が吹き抜ける、この場所に立って、真下に見えている滝壺が朱に染まった情景を想像し、背筋が冷たくなったという人も・・・。
えっ? でも、ちょっと待って! この滝、人が身を投げるにしては小さくね? この程度の落差で、ホントに落命する? と、現地で疑問を感じた人もいるのでは?
はい。あなたが疑問に思うのも、もっともです。女性たちが身を投じたという悲劇抜きには、八王子城観光コースが成り立たないほど有名な滝なのですが、結論から言ってしまうと、この伝説は非常にあやしい。城の構造から考えて、女性たちがこの場所で自害するということはありえない、と断言してよいほどです。
なぜ、そう考えられるのかというと・・・。
北条一族の重鎮であった氏照が八王子城の築城を始めたのは、天正15年(1587)のこと。それまで本拠としてきた丘城の滝山城を捨てて、新たに八王子城を築くことにしたのだ。なぜ、この時期に新しい山城を築いたのかというと、豊臣政権との関係が悪化してきたから。
同じ頃、北条氏の領国では、あちこちで盛んに築城が行われている。つまり、豊臣秀吉が大軍で攻めこんでくる事態に備えて、領国全体で戦略配置を見直そうという動きの中で、八王子城も築かれたわけだ。
ここで忘れてほしくないのは、城とは敵を防ぐための施設、という原理。早い話、城とはそもそも要塞であり、軍事基地なのだ。だから、北条領国全体で基地の配置をシフトするという方針が決まったので、氏照もそれに従って新しい基地(要塞)を築いて、そこに引っ越すことになったのだ。
もう一つ。戦国時代から近世にかけて、城は山の上から平地に下りてきた、と説明されることがある。でも、これは正しくない。なぜなら、戦国時代には山城だけでなく、丘城や平城もたくさん築かれていたから。つまり、戦国時代には山城から平城まで、小さな城から大きな城まで、いろんなタイプの城がたくさん築かれていた。
それが、豊臣秀吉や徳川家康による統一が進んでゆくと、大名同士の戦争はおしまいになる。すると、山城であれ平城であれ、前線基地のような城は用済みになって、大名の居城や戦略的に重要な城だけが残る。そこで、結果として平城や平山城がたくさん残ることになったのであって、別に山城が旧式で平城が新式というわけではないのだ。
八王子城の本体は敵の攻撃を防ぐための頑丈な山城で、麓にはふだんの居住区として、氏照の御主殿があった。でも、戦いになれば、御主殿はまっ先に敵の攻撃を受け止める第一線陣地になる。そんな場所に、女性たちがいるわけがない。
それに、城攻めのとき城内にいる女性たちは、籠城している家臣たちの妻女だ。彼女らは早い話、籠城衆が逃げたり、寝返ったりしないための人質だ。だとしたらよけい、第一線陣地になる御主殿に置いておくわけがない。人質は山城の中心部、主郭(本丸)に近い場所に軟禁されていたはずである。
八王子城に登ってみると、山頂にある主郭の少し下の所に八王子神社が建っていて、その下の曲輪に休憩所がある。僕は、この神社か休憩所のあたりが人質の軟禁場所、と推定している(この場所の写真は載せません、何か写っていると怖いので・笑)。
八王子城が落ちたあと、秀吉は前田利家と上杉景勝に対して、八王子城で捕虜となった者のうち、上級武将の妻女は見せしめとして小田原へ連行せよ、と命じている。それ以外の者はお構いなしというわけだが、彼女らが無傷で釈放されたとは考えにくい。敵兵が乱入してくる前に、自ら命を絶った女性たちもいたにちがいない。
おそらく、落城からしばらくの間、八王子城から流れ出ている城山川は、討ち死にした城兵たちの血で赤く染まり、下流の村人たちは、農業用水や生活用水として使うこともできなかったのだろう。そうした記憶が、落城にともなう悲劇と重なって、御主殿の滝の伝説が生まれたのではないか。僕は、そんなふうに推測している。
なお、八王子城は日本100名城に選ばれているので訪れる人が多いが、敵を寄せつけない険しい山城だ。夏場の暑い時期に気軽に登れる城ではない。チャレンジするなら、涼しい季節に足ごしらえをしっかり整えて、覚悟を決めて登ろう。
[お知らせ]
八王子城について詳しく知りたい方は、拙著『「東国の城」の進化と歴史』(河出書房新社)を参照して下さい。香川元太郎氏の精密なイラストで、1590年(天正18)6月23日の攻防戦を再現していますよ!
また、スマホ用アプリ『ぽちっと東国の城』ではイラストの細部を解説しています!
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【 戦国の城・ネコの巻 】連載一覧
第3回「天守って何だ!」
第2回「深大寺城どうでしょう?」
第1回「プロローグ」
【 城の本場は首都圏だった!? 】続100名城もあり!『首都圏発 戦国の城の歩きかた』が発売
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