戦国最大のクーデターといえる「本能寺の変」で、織田信長を倒した明智光秀。
この襲撃の作戦は、綿密に計画されていたにもかかわらず、光秀はその後の山崎の戦いで敗北、三日天下で終わってしまいます。
そして山崎の戦いに勝利した豊臣(羽柴)秀吉が、天下を取るのです。
8月3日(木)に放送のNHK BSプレミアム【英雄たちの選択】では、光秀と秀吉、天下分け目の決戦となった山崎の戦いの真実に迫ります。
綿密に計画された「本能寺の変」
光秀が信長を襲撃した「本能寺の変」は、信長を倒すと同時に嫡男・信忠も倒し、さらに北陸東海からの攻撃を防ぐべく近江を制圧します。光秀は数か月のうちの畿内制圧を目指していました。
光秀が最も警戒していたであろう秀吉はその時、備中松山城で毛利勢と戦っていました。しかし秀吉は、のちに「中国大返し」と言われる驚異の早業で畿内へ急行。摂津国と山城国の境に位置する山崎で、天下分け目の決戦となるのです。
味方になってもらえなかった光秀
光秀は、「本能寺の変」で混乱する京の治安維持にあたり、つづいて近江を掌握するために臣従した武田元明・京極高次らの軍を派遣。自らも安土城に入って信長貯蔵の金銀財宝から名物を強奪して自分の家臣や味方に与えています。
近江を優先したのは当時、織田家中で最大の力を持っていた筆頭家老の柴田勝家への備えを最優先したためと考えられています。
光秀が京都に帰還する間、有力大名に加勢を呼びかけましたが、縁戚であった細川藤孝・忠興父子に断られ、秀吉側に寝返ったものもあり、十分な兵力を集めることができませんでした。
光秀に迫られた、究極の選択
こうした状況で秀吉接近の報を受けた光秀は、急いで淀城と勝龍寺城の修築に取り掛かかります。これは京街道を通って来るなら淀城が、西国街道を通って来るなら勝龍寺城が、それぞれ京への最終防衛ラインとなるからです。
また当時、堺には四国の長宗我部征伐のために織田(神戸)信孝と丹羽長秀が布陣しており、信孝軍が京へ向かうには京街道、また秀吉が京へ向かうには西国街道を通ることが予想されました。
結果、西国街道を経て入京した秀吉と、山崎で決戦となるのですが、光秀軍14000人に対し秀吉軍40000人と、軍勢に勝る秀吉の一方的な勝利に終わってしまいます。
番組では、地の利のある山崎で秀吉を迎え撃つか、大坂にいる信長の三男・信孝を殺して秀吉の大義名分を奪い、味方を増やすかに悩んだ光秀の実像と、意外な勝敗のカギに迫ります。
選択次第では、光秀の天下もあったかもしれない? 山崎の戦いの真説をとくNHK BSプレミアム【英雄たちの選択】「真説・山崎の戦い~なぜ光秀は天下をとれなかったのか?~」は8月3日(木)20時からの放送です。お見逃しなく!
BSプレミアム【英雄たちの選択】
「真説・山崎の戦い~なぜ光秀は天下をとれなかったのか?~」
放送日時:2017年8月3日(木) 20:00~20:59
司会:磯田道史、渡邊佐和子
出演:千田嘉博、萱野稔人、小谷賢
語り:松重豊
公式HP:英雄たちの選択
http://www4.nhk.or.jp/heroes/
(編集部)
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