戦国武将・三好長慶の銅像が大阪府大東市の市役所正面に完成!その記念式典が10月28日(土)に行われました。これは、長慶の晩年の居城であり、今年「続日本100名城」にも選ばれた飯盛城のある大東市が、歴史を生かしたまちづくりの一環としてすすめたものです。足利将軍を擁立せずに、初めて京都を支配する政権を打ち立て、最初の天下人とも言われる長慶の功績と共に、当日の式典の様子をご紹介します。
勇ましい姿の三好長慶像が完成!
記念式典にて、地鎮祭、除幕式に続き、ついにお披露目となった三好長慶の銅像。高さ約1.5m、縦横約1mの銅像は、鎧兜を身にまとった長慶がむちを手に出陣の号令を掛ける、なんとも勇ましい姿に仕上がっています。これは歌川芳虎の「大日本六十余将」にある三好長慶像を参考に、歴史学者の天理大学准教授・天野忠幸さんの監修のもと、彫刻家の奈部雅昭さんが原型を製作しました。
郷土に縁のある戦国武将の再現のお祝いに、式典当日には、約200人の関係者が集まりました。さらに、長慶が大東市に約450年ぶりに戻ったことを祝い、東坂浩一市長から特別住民票が公布されました。長慶もこれで、大東市の住民というわけですね。
また長慶の出身地である、徳島県の関係者も出席して完成を喜びました。
今後、銅像は、大東市が国史跡指定を目指す飯盛城と合わせて、城主である三好長慶の功績を広く市民に知らせると共に、大東市の歴史的資源の価値を全国に広めるシンボルとしての活用が期待されます。
事実上の天下人だった三好長慶
三好長慶は阿波国(徳島県)・芝生城主の三好元長の嫡男として、大永2年(1522)3月10日に生まれました。室町幕府の実権が、足利将軍家から管領を務める細川氏へ移行していた当時、元長は細川晴元の重臣でしたが、疎んじられ、忙殺されてしまいます。長慶が10歳の時でした。
その後長慶は、弟の三好実休らと力を合わせ、松永久秀などを登用し、苦難を乗り越えます。
そして天文18年(1549)、江口の戦いで晴元を破ると、天文22年(1553)に晴元についていた足利義輝を追放、初めて足利将軍を擁立せず、京都を支配する政権を打ち立て、事実上の天下人となったのです。
永禄3年(1560)に、飯盛城に入城した長慶は、堺を拠点に、豪商や琉球の禅僧とのつながりを生かし、法華宗・臨済宗・キリスト教という独自の海外交易ルートを確立。織田信長より先に鉄砲を戦場で用いたり、キリスト教を積極的に保護して「河内キリスタン」の繁栄に寄与するなど、先進的な政策を実行します。また、和歌や連歌に優れ、特に連歌などは細川幽斎や江戸時代の俳人である松永貞徳も敬仰し、模範にしたと言われています。
大東市では今後もイベントを開催予定
今年の3月4日(土)「みよし」の日に開催され、市内外から多くの人が集まった「三好長慶公 武者行列 in 大東」が2018年も3月に開催予定。また2018年2月12日(月・祝)には「続日本100名城選定記念 天下人の城 飯盛城ガイド&セミナー」も開催と、今後も、大東市の“三好推し”イベントは続々予定されています。
また、11月26日(日)に開催される「関西城郭サミット」も、今年は三好長慶の城がテーマ。研究者6名による三好長慶とその一党が築いた城郭の特徴が議論されるなど、城好きも見逃せない内容となっています。
日時:平成29年11月26日(日)午前10時~午後4時30分(開場9時30分)
場所:四條畷学園短期大学 清風学舎80周年記念ホール
長慶が大河ドラマに重役として登場する日も近い?これを機会に、もうひとりの天下人、三好長慶に注目してみませんか?
(編集部)
参照元:大東市
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