先日もご紹介した歴史上の人物の子孫たち。
吉川晃司はあの人の子孫だった!偉人の「意外なご子孫」まとめ
歴史上に名を残した人物の子孫の方々には、子孫だからこそ知っているその家系の習わしや歴史上の出来事などがあるようです。そうしたエピソードは私たちにはとても新鮮で面白いものですよね。
ただ、当主だからこそ大変なこともあるようで・・・。今回はそんな有名な偉人たちの子孫ならではの悩みについて、いくつかご紹介します。
今でもまだ徳川に配慮中。真田信之から14代目・真田幸俊氏
大河ドラマ「真田丸」でおなじみ、真田信繁の兄・信幸(のち信之)の子孫である真田幸俊氏は、工学者となり現在は慶応大学の教授をなさっています。インテリですね・・・!
先祖代々子弟に同じ字を付ける「通字」の風習があるそうで、氏もまた「幸」の字がついています。お子さんに付ける名前には大変ご苦労されたとか。
信幸が信之と名を改めたのには、徳川をさんざん苦しめた昌幸と信繁を連想させるのではないかと考えたためだそうですよ。
また、徳川から拝領した皿は胸に抱えるようにして、「絶対落とさないように持て」と代々言われているそうです。もし割ってしまって難癖を付けられたら大変ですし、本当に徳川に気を遣っていたようです。
ちなみに、今でも真田の本家は善光寺の回向柱を奉納しています。その際には当主が裃を着て、口上を述べることになっているとのこと。今でも殿様の役割を果たさなければならないのは、大変ですね。
祖父・栗林忠道陸軍大将の遺志を受け継いで、平和の志を広める新藤義孝氏
映画「硫黄島からの手紙」で渡辺謙さんが演じたことで有名な栗林中将。
そんな栗林大将の孫に当たるのが、自民党衆議院議員・新藤義孝氏です。総務大臣や内閣府特命担当大臣などを歴任しました。
栗林大将の戦いぶりはアメリカでも高く評価され、大きなインパクトを与えました。
しかし、赴任先の硫黄島から家族に宛てて書いた手紙には、父としての優しい顔がのぞきます。その手紙に何度も出てくる「たこちゃん」こそが、新藤氏の母・たか子さんなのです。
氏いわく、かつてアメリカに留学していた栗林大将は日米の力の差を認識していたと言います。そのため不戦派とみなされ冷遇されたこともありました。
しかし、戦争が佳境に入り硫黄島へ赴任することになると、そこで持ちこたえることが本土空襲を食い止めることになり、ひいては国と家族を守ることになると考えたのだそうです。そして、あの壮絶なゲリラ戦を展開してアメリカ軍を苦しめたのでした。
勝ち目のない悲惨な戦いの上に平和があることを、氏は様々なメディアで述べています。現在も、硫黄島に残された戦没者の遺骨収集の視察活動をしているようです。
あえて「信」の字を息子に付けず…織田家18代・織田信孝氏
織田信長の息子・信雄の系統で、18代目に当たる織田信孝氏は、真田家とは異なり「通字」をやめたことで話題となりました。
息子さんには「信」の字を付けていません。
氏は、織田という名字と名前に「信」の字があることで、明らかに信長の子孫だとわかるのが嫌だったそうです。
血筋という属性で判断されることが不本意だったため、そうした思いを子供にさせたくなくて、あえて400年続いた通字をやめたのこと。これもまた大きな決断でしたね。
もう一つ、氏は織田信雄が小説やドラマなどで凡人(あるいはそれ以下)として描かれるのが少し不満だそうです。確かに・・・。
ちなみに、信長の弟・有楽斎の子孫でもある裕美子さんも健在です。なんだか羨ましいですね。
有名な先祖を持つ子孫ならではの苦労もあったりしますが、そうではない我々からすれば、偉人の子孫であることはやっぱり羨ましいですね。
子孫でないとわからないこと、もっと知りたいなと思います。
(xiao)
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