【種子島に伝来した火縄銃】その仕組みと戦いの歴史

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【種子島に伝来した火縄銃】その仕組みと戦いの歴史

戦国時代の小説などを読んでいると、槍や日本刀などメジャーなものから鎖鎌のようなマイナーなものまでさまざまな武器が出てきますが、中でも戦のあり方を大きく変えた火縄銃は強い存在感を放っています。

今回は、戦国時代以降の大きな戦いで使われるようになった火縄銃の仕組みや種子島に伝来した歴史について解説します。

天文12年、種子島に火縄銃が伝来する

種子島
火縄銃が伝来した種子島です。

火縄銃(Matchlock gun)は15世紀前半にヨーロッパで発明されました。銃という武器自体は13世紀後半の中国で誕生したのですが、モンゴル帝国の遠征によって西に持ち運ばれ、ヨーロッパで改良され火縄銃となります。火縄銃が開発されて数十年後、15世紀末からヨーロッパ人によるアフリカなどの植民地経営の際に盛んに携帯されるようになりました。

このようにヨーロッパの外にも持ち出されるようになった火縄銃ですが、天文12年(1543)に一艘の外国船によって日本にもたらされます。当時の大隅国(現在の鹿児島県東部)の種子島に漂着した船に乗っていた二人のポルトガル人、フランシスコ、キリシタ・ダ・モッタは商売を目的に外国を渡っており、二丁の火縄銃を持っていました。種子島の領主・種子島時堯(たねがしまときたか)に謁見した二人は、火縄銃の実演をします。当時発達した火器を持っていなかった日本人にとって、その轟音と威力は驚嘆すべきものでした。時堯はすぐに火縄銃を買い求め、家臣に火薬の調合を学ばせました。その後、火縄銃は日本全国に広がっていき、日本史に大きな影響を与えます。日本では種子島に最初に伝来したことから種子島銃と呼ばれました。

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火縄銃の特徴について

火縄銃

火縄銃はマッチロック式(火縄式)と呼ばれる火縄を仕掛けに挟んでおき、引き金を引くと仕掛けが作動、火縄が火薬に接して点火する仕組みでした。それまでの古式銃よりも高い命中率と射程距離を誇った火縄銃ですが、実は欠点がありました。その名の通り発射に火のついた縄を使用する上、火薬を用いる仕組ですが防水性に優れていなかったため、水に濡れたら使えないという問題があったのです。このことから雨の日の使用は限定されました。さらに、装填から発射までに時間がかかり、連射機能もないため、一人や少人数で戦うには不向きでした。

火縄銃の歴史を紐解く

鉄砲隊
火縄銃の威力はどれほどのものだったのでしょうか?

種子島に伝わった火縄銃はその後、全国に伝わりながらさまざまな使われ方をされるようになっていきます。日本での火縄銃の歴史について見て行きましょう。

戦国時代と火縄銃

鉄砲伝来時、日本は戦国時代に突入しており、絶えず戦いが行われ、大名同士が武力を競っていました。当時は刀や槍の他に飛び道具として弓矢や石つぶてが主要な武器だった中で、火縄銃は日本の戦争史を一変させてしまいます。

国友や堺などで生産されるようになった火縄銃は、やがて主要な合戦で使用されるようになりました。中でも、織田信長が当時全国屈指の強さを誇っていた武田騎馬隊に対して、火縄銃を使って撃滅した長篠の戦いが知られています。

火縄銃と聞くと、なんとなくそこまで威力はないようなイメージがありますが、実は使用条件によっては現在の散弾銃、拳銃よりも威力が高く、まともに命中すれば鎧を着ていても十分に人を殺せる程の威力がありました。鎧を着た人形を用いた実験では、表の鉄板を撃ち抜いた銃弾が砕け、その複数の破片が背中側の鉄板も撃ち抜いたという記録があります。当然、それまでの飛び道具に比べ圧倒的な殺傷能力を持っていました。

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江戸時代から幕末まで

江戸期に入ると、幕府によって火縄銃の所持や移動の制限をされます。また、泰平の世であったこともあり、火縄銃の使用は戦国時代に比べ激減しました。戦いがないため狩猟で用いられたり、中には装飾品として用いられたりすることもあったようです。諸藩によって密かに技術研究されていた事実は残っているものの、幕末にヨーロッパから日本に持ち込まれた近代的な新式銃には性能が遠く及ばず、戊辰戦争ではあまり使われずにその歴史的役割を終えました。

刀から銃の時代へ

火縄銃

火縄銃は戦国時代にポルトガルから日本の種子島に伝わりました。いくつかの欠点もありましたが、恐るべき威力によって長篠の戦いなど主要な戦で戦国大名たちに使用されるまで普及します。その需要に応じて、近江の国友や和泉の堺などでは次々と生産拠点が作られていき、戦国末期には日本は世界有数の銃所有国となっていました。種子島に火縄銃が伝来したことで刀の時代は終わり、戊辰戦争の頃には完全に銃の時代へと移り変わっていったのです。

 

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