歴史作家・泉秀樹が歴史の現場を探訪取材し、独自の視線で人と事件を解析して真実に迫る「泉秀樹の歴史を歩く」(J:COMテレビで好評放送中)。
今回のテーマは、「北条義時の生き方」。
まったく目立たない地味で静かな次男坊・北条義時。
その脇役に徹した男がなにを考え、どのような生き方をして鎌倉幕府の最高権力者になり、どう武家政権を築きあげたのか。
北条義時は伊豆国・田方郡北条(静岡県伊豆の国市)の小規模な土豪であった北条時政の次男として生まれた。
母は伊東祐親の娘。 義時と六歳年上の姉・政子、兄・宗時、弟・時房が同じ母から生まれている。
義時の最初の妻は御所女房阿波局。
のちに北条家の執権独裁政治を確立させることになる金剛(泰時)を生み、まもなく死んでしまった。
正治元年(1199)正月13日、頼朝が死んだ。
前の年の暮れに相模川に架けられた橋の橋供養に行って落馬したのが死因になった。
頼家はこのとき18歳で、家督を継いで「鎌倉殿」になった。
しかし、頼朝の死に関わるごたごたの中で頼家は政子に政務の直接裁決を禁じられた。
将軍独裁に代わって有力な宿老13人が合議しながら将軍を補佐し、運営することが定められた。
頼家の未熟な独裁制を防ぎ、補佐するということだ。
武家の棟梁としては頭をおさえられてばかりいて、頼家にはどうにもおもしろくないことばかりだった。
また、頼家は比企能員と自分を育てた乳母の娘・若狭局と結ばれて、一幡という男の子をもうけていた。若狭局は側室である。
若狭局の比企家と頼家は、もっとも親密で、頼家自身と一体化していたといってもいいだろう。
だから、政子も北条時政・義時父子も比企家に幕府を乗っとられるのではないか、という危機感を抱かざるをえなかった。
政子と時政は日本を二つに分割することを考えた。
関西38国の地頭職を頼家の実弟・実朝にあたえ、関東28か国の地頭職と総守護職を頼家の長男・一幡にあたえることにしたのである。
比企能員は、これを承服しなかった。
いいかえれば、この分割案は北条氏が比企氏を挑発したということである。
頼家は比企能員を呼び、時政を誅殺すべきだと話し合った。
『吾妻鏡』ではこの二人の時政誅殺の話を隣の部屋にいた政子が聞いていたというのだが、これは実際は頼家には間諜がつけられ、常時監視されていたということだろう。
先手必勝と考えた時政は、能員を自邸に招き、能員はこれに応じた。
能員の子供たちは危険だからやめた方がいいと反対したが、能員は普段着のまま何人かの郎党を供に連れて時政の屋敷を訪ねた。
能員が時政の屋敷に入るとすぐ天野遠景と仁田忠常が両側から左右の腕を捕まえ、竹薮に引き倒して斬り、刺して殺した。
能員を殺すところを、時政は出居(客間)からじっと見つめていたという。
比企一族は若狭局や五歳の一幡をはじめ800余名が皆殺しにされた。
義時は父や姉のこういうやりかた、手口を目の当たりにして敵との抗争にどう当たればいいのかを学んだことだろう。
敵は殲滅する、皆殺しにすればいい。そうすれば完全な勝利が得られるということを心に深く刻み込んだはずだ。
政子は頼朝未亡人として絶大な権力を持っていたが、次の権力者は義時だ。
ここでもまだ義時は2番手ではあったが、最高権力者の一人に成長していたといえるだろう。
姉を追い抜くのはそう難しいことではなかった。
次に和田一族との抗争だ。
和田義盛は従兄弟の三浦義村と同盟して義時と幕府本部襲撃をもくろんだのである。
「建保の乱」だが、義村が裏切って、義時に密告した。
それでも義盛は幕府や義時邸、大江広元邸を攻撃した。
鎌倉の由比ヶ浜や若宮大路で激戦となった。
3日間の市街戦で義盛は敗北し、片瀬川には234の首がさらされたという。
和田一族の滅亡である。義時はこれで勝ち残った。
もはや北条家に対抗できる御家人は一人もいなくなった。
さらに承久の変で朝幕関係は逆転して幕府支配が全国に、確実に行きわたることになった。
これをもって武家政権のはじまりだともいえるのではないだろうか。
幕府の意思で天皇が決められることになったからだ。
しかし、この3年後に義時は急死することになる。
享年62。
貞応3年(1224)6月12日のことで、きわめて不自然な急死だった。
作家・写真家 昭和18年(1943)静岡県浜松市生まれ。昭和40年(1965)慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞社記者・編集者などを経て作家として独立。写真家としてもヤマハ横浜・藤沢で『モーツアルトのいる風景展』、藤沢市民ギャラリーで『四季の藤沢-人と海と街展』を開催するなどの活動をつづけている。昭和48年(1973)小説『剥製博物館』で第5回「新潮新人賞」受賞。日本文芸家協会会員。
「泉秀樹の歴史を歩く」
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