【ワタクシこういう者ですが・・】戦場で名刺を配った戦国武将

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【ワタクシこういう者ですが・・】戦場で名刺を配った戦国武将

鎌倉時代の戦記などでは、戦い方は互いに「やあやあわれこそは,●●の住人,●●なり.ご先祖様はだれそれで,今回戦うことになったのはこれこれしかじかだあ!お前も武士なら武士らしく戦え!!!」という「名乗り」が延々とあり、基本的には一騎打ちが多かったと学んだ覚えがあります。
しかも周りはその一騎打ちを周りで見ているという、なんとも伝統的(?)な戦い方をしていたのですね。

ただ戦国時代になって、鉄砲が伝来したために組織的な集団戦のスタイルになり、下級武士達はなかなか自分の個性を出すのが難しくなってきました。
「やあやあ・・・」と言ってる間に鉄砲で「ドカン」とやられちゃいますからね。

しかしそんななかにもいたのです。鎌倉時代よろしく「俺はこーいうもんだ!」と名乗りをあげるために「名刺」を戦場で配りまくった武将が。
その武将の名は「塙 団右衛門(ばん だんえもん)」。
諸説あれど1567(永禄10)年に尾張(愛知県)で生誕したといわれ、当初の名前は「直之(なおゆき)」。
豊臣秀吉の家臣であった加藤嘉明に召し抱えられて、朝鮮出兵の際にはなんと四尺半(1.3m×10m)の旗指物(背中に差す家紋などが入った旗のようなもの)を付けて戦ったそう。

その後関ヶ原を経て徳川家康が豊臣方を滅ぼそうと始まった大阪冬の陣では、豊臣方として夜襲をかけ、敵陣に「夜討ちの大将 塙団右衛門」と書いた札をバラまいたそうです。

やりますなあ、団右衛門さん。
でも一旗あげて自分が出世するためにも誰がやったのかをちゃんと知らせておかないと名前が売れないですもんね。
しかし団右衛門さん、せっかく名前をあげながらも翌年の大阪夏の陣ではあえなく戦死してしまいます。

ただこの頃の行動が後世に語り継がれたため彼は有名になりました。
調べたらなんと彼の子孫はその後製鉄業を営み、現在13代目は島根で団右衛門さんの甲冑や貴重な史料を展示しています。
可部屋集成館」オフィシャルサイト

いつの時代も自分の名前をしっかり知らせることってやっぱり大事ですよね。
どこで何があるか分からないですから、もしかしたら何かの折に有名になれるかもしれません。
みなさん頑張って名乗りをあげていきましょうぞ!あ、と言いながら私は名乗ってない(汗)
(副編集長Y)

参照元
塙直之」wikipedia
鎌倉時代の勉強をしよう」小学生とゲンボー先生のページ

 

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